五輪・国策・避難者

 オリンピック・パラリンピックが間近に迫り、胸をときめかせ待っておられる方も多いことでしょう。
 私はどちらかと言えば、最初から反対のほうでした。特定の政党の政策を支持しているわけではありません。コロナ禍が再び大きな拡がりを見せようとしているのに、という懸念はありました。福島の原発事故からの修復が軌道にのっていないのに、「復興五輪」などと言う掛け声が安易に叫ばれていることへの疑問もありました。
 五輪の聖火リレーが福島県楢葉町のJヴィレッジから出発すると決まった時にも、「また中央の言いなりになり、お先棒を担ぐのか」と不安を感じたものです。「また」とは、かつて「未来の夢のエネルギー」として原発を容認した過去を思い出してのことです。しかし、喜びに湧き上がっているらしい現地の様子を新聞等で読み、あるいは伝え聞くと、それに水を差すような意見を出すのは躊躇してしまいました。
 ところが原発災による避難者の中には、オリンピック開催に反対の人もいます。例えば山口県避難移住者の会の代表は、「原発避難者にとっては遠くの国の話としか思えません」と述べています。そうです、五輪どころではないのです。私も「復興五輪」の言葉の蔭に、支援打ち切りの姿勢が感じられてなりません。
 新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長らは「無観客が望ましい」と提言しましたが、首相らは応ぜず「観客上限1万人」を頭に描いたようです。「国民の命と健康」は、どうなるのでしょうか。
 今年5月の世論調査では、中止を求める声が6割もありました。ところが菅首相は、6月11日~13日に英国イングランド南西部のコーンウォールで開かれたG7サミットで、首脳声明への「五輪開催支持」盛り込みに成功し、「全首脳から支持を頂いた」と大威張り。ここにおいて「五輪開催」は動かしがたい「国策」となりました。彼はG7サミットを、国内の反対意見を抑えるのに使ったのです。
 国策と言えば、戦争中の苦い思い出が胸をよぎります。1938年7月15日、軍部の国策により東京オリンピック中止が決定しました。その後、国策により満蒙開拓義勇軍が満洲に送られ悲惨な終戦を迎えましたが、関東軍は彼らを護ってくれません。さらに国策により大東亜戦争に突入し、多くの前途有為な若者が死地に赴かされ、広島と長崎に原爆を落とされてやっと終戦。国策とは悪しきものなのでしょうか。
 私見によれば、1938年のオリンピックは遂行すべきものでした。これに対して2021年のそれは、これまで一生懸命に練習して来た選手の皆さんには申し訳ありませんが、再延期か中止すべきものだったのです。
 首相は1964年の東京五輪に触れ、「子どもや若者にも見せ、希望や勇気を与えたい」と言い、バレーボールの東洋の魔女や柔道のヘーシングの思い出を語っています。しかし今回の東京五輪について何を訊かれても、「国民の命と安全を守るのが私の責務」という言葉で締めくくってきました。或る本は菅首相の特長を、「聞かれたことに答えない」「ビジョンを語らない」と書いています。たしかに具体性を欠き答えになっていません。
 彼にとって大切なのは自分の人気の上昇、秋の自民党総裁選・国会議員の総選挙で大勝することであり、その為に五輪を国策化し、日の丸が上るにつれ自分の人気が上昇することを夢見ているのでしょう。
もっとも、最近における感染状況の悪化から、蔓延防止等重点措置は7月11日の期限後も延長することが有力になってきております。大会関係者の間でも、「大会中に緊急事態宣言が出て無観客に切り替えるぐらいなら、はじめから無観客にした方がいい」との意見もあるそうです。
 7月3日には熱海市伊豆山地区で大規模な土石流が起こり、ここ当分、各地で大きな水害が起こるか分からぬ状況が続いており、新型コロナ感染症に対する予防接種は遅れがちで、地方では混乱が起こっています。こうした状況下、4日に行なわれた東京都議会選挙では、与党は予定数を当選さすことが出来ませんでした。
 最近、東京と関東3県が無観客になり、大阪と関東3県は蔓延防止措置が延長、東京と沖縄は8月22日まで緊急事態宣言が出されるなど、後手後手ながら変更が起こっています。
首相も政府与党も、自分たちのための国威発揚でなく、国民生活の「安心と安全」に全力を挙げ、面子のために金を使うのでなく、いろいろな避難者の苦しい生活を忘れることなく、支援を続けてほしいのです。(2021/7/10)

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