赤い森と群青の海  谷本 多美子

 五月のゴールデンウィークに三年ぶりに故郷南相馬市に帰った。コロナ禍の中ではあったが、今年は蔓延防止法が出されていなかったので、思い切って出かけて行った。

 今回の目的は、故郷に残っている親から相続した山林や畑を息子に伝えておく必要を感じたのと、三年間で故郷南相馬市がどのように変わったか、自分の目で確かめてみたかったからだった。相続した山林や畑は原発から十キロあまりのところにあり、課税対象にもなっていない。畑は十年以上も人の手が入らず、木や草で覆われ、雑木林のようになっている。持っていても困ってしまうその山林の一つが、もしかしたら古墳かもしれない、と出発前に同じ集落に11年前の震災前まで住んでいた知人が知らせてくれた。あの役にも立たない荒れ果てた地がまさか、と半信半疑でもあった。

 二泊三日の最初の日は、小高駅前の双葉や旅館に宿泊した。小高駅は津波で壊滅的な被害を受けていたので、双葉や旅館も甚大な被害を受けたことは想像がつく。いつか詳しく話しを聞いてみたいと思っていたところ、今回ご主人の小林岳紀氏と初めて少し話すことができた。が、話題はウクライナのことになった。玄関から少し入った廊下の壁に、ウクライナの写真が貼ってあった。ウクライナと何か関係があるのか聞くと、原発事故がきっかけで、南相馬市とウクライナの交流が始まったとの答えが返ってきた。東電1Fの核爆発事故は、ちょうどチェルノブイリ原発事故の25年後のことだった。原発事故から2年が過ぎた頃、チェルノブイリの今を知り、30年後の福島を考えたくてウクライナ訪問が始まったそうだ。「チェルノブイリの今が、福島の約30年後になるのですよ」と言って1冊の写真集『友よ!』と冊子『チェルノブイリ赤い森 フクシマ群青の海』副題/チェルノブイリ事故から学ぶ福島30年後の未来/、ほかに原発被災地の放射線量率マップ(2021年版)をくださった。

 立ち話であまり長く話しができなかったので、部屋に戻りまず写真集『友よ』を開いた。小林岳紀氏と女将の友子氏を中心とする放射能測定センター・南相馬届け鳥は2013年にチェルノブイリを訪問したおり、消防士たちが立ち上げた団体と交流する機会を得て、それ以来交流が続いていることを知った。

 写真集は2022年4月1日(ロシアのウクライナ侵攻36日目)に発行されている。表紙の裏に、ごあいさつ、と題して小林友子氏の前書きがある。一部を引用させて頂く。

 2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻による戦争の始まりに、信じられない思いで、ウクライナから送られてくる映像を見つめた。――中略――1941年の第二次世界大戦を体験した人々が、もう二度と戦争はしないと誓い、お互いに理解しようと進んできたことが無にならないように、大戦を知らない人々にもう一度伝えたい。戦争の悲惨さを。事実と現実を見つめて、戦争をしないための知恵を持ちましょう。これから、爆撃で破戒し尽くされたウクライナの国の再建のためにカンパを募ります。

 写真集には、ロシアの軍事侵略以前の南相馬市とウクライナの、主にジトーミル州の人々との交流の様子、訪問した街や学校の破戒された今の様子、戦死した兵士たちの遺影に添えられた花の写真などが20ページに亘って載っている。小林岳紀氏によると、ウクライナの人々とは今は直接連絡を取合うことができなくなっているが、フェイスブックだけは見られるとのことだった。

 メディアから毎日のように飛び込んでくるウクライナの戦場の悲惨な様子に目を覆いたくなるが、自分自身の人生の大半を自分のことばかりに費やしてしまった反省から、しっかりと現実を見つめ、真実を見極めていくことがせめてもの罪滅ぼしと思って、複数のメディアの情報を毎日見ている。復興とは言いがたい故郷で、将来のために働く人々を見て、申しわけない気持になった。

 危惧されるのは、ロシアが核兵器を使用するのではないかということである。正論は通らない国であり、リーダーだ。モーセの十戒の中の、第六戒に(汝、殺すなかれ)、第八戒に(汝、盗むなかれ)、とある。プーチンは民衆の前で十字をを切って見せていたが、あれはパフォーマンスか。独立主権国家に一方的に軍事侵略して、無辜の民の命を奪い、財産を奪う者が信仰者とはとても思えない。そう言えば、ヒットラーもカトリック修道院の修道僧見習いだったと聞く。日本の過去の指導者たちも隣国韓国を植民地支配し、天皇を現人神として国民にあがめ奉らせ、戦争へと駆り立てた過去を忘れてはならないと改めて思う。

 ところで、古墳の跡かも知れないという山林、南側が九十度に削られ、昭和26年に集落の出世頭の一人が寄贈して建てられた小さな薬師堂が、朽ち果てそうになって今も残っている。古墳らしい穴は薬師堂の北東部にある。入り口は狭かったが、奥へと続いている、と案内してくれた知人が言う。まだまだ謎めいたところはあるが、今後も継続して見ていきたい。

 境内から下りて古墳らしい山林に連なる地形を見渡していると、天瀬裕康氏の混成詩集『麗しの福島よ』の中の一文が浮かんだ。「むかし陸奥は桃源郷だった」(p14)眺めているうちに、ここら辺りも桃源郷だったかもしれない、と知るよしもない遠い昔へと思いは駆け巡った。山林の東側には2キロ先の太平洋まで平地が広がっている。3.11以前は田園地帯だった。もっと遡ると、明治になって干拓される前は潟で、多くの魚介類が生息していたのだろう。田園地帯は津波に流され、大勢の人が犠牲になり、放射能に追い打ちをかけられ、人が住めない場所になってしまった。

 

 双葉や旅館のある小高町だが、町内には国の復興税で町民が集う立派な交流館が建てられている。いずれ南相馬市に委託されたとき、はたして維持管理していけるのだろうか。核爆発が起きる前の双葉町は、東電によって建てられたいくつもの箱物の維持管理で、町の財政が逼迫し、原発をもう一基作ってほしいと東電に頼み込んでいた、と漏れ聞いたことを思い出した。南相馬市小高区の帰還者は30%くらいだと小林氏は話していた。人口の割合は圧倒的に高齢者が多い。でも大丈夫、と思いたい。

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