第9回 忘れない 忘れられない

 1月17日。6434人の命が犠牲となった1995年の阪神大震災の発生から27年となり私自身、当時ガレキの山を縫うようにしてバスと船、徒歩で廃墟の町と化した傷だらけの現場を歩いて回ったことを思い出します。その被災地でことしは新型コロナウイルスの感染対策でマスクをした市民らが各地で開かれた追悼行事に参加。地震発生時間の午前5時46分に祈りや黙とうを捧げる場面が新聞やテレビなど各マスコミで大きく報じられていました。
 このうち神戸市中央区の公園「東遊園地」では竹燈籠や紙製の灯籠などで形作られた【忘 1・17】の文字が浮かび上がりましたが、主催者側によると、灯籠で作った【忘】は公募で選ばれ「忘れてはいけない」との思いだけでなく「忘れてしまいたい」の声も反映している、とのこと。あの悪夢を忘れてはいけない。けれど忘れてしまいたい。ましてや、思ってもいなかった天災にある日突然に襲われ、大切な家族を奪われてしまったご遺族の悔しさとなると、いかばかりだったでしょう。

 というわけで、私はこの【忘れない】の言葉を写し絵に過去、私たちを襲った悲劇を振り返ってみました。広島・長崎への原爆投下はじめ阪神大震災。そして「忘れてはいけない」こととなると、3・11東日本大震災と東電福島原発事故があります。猛威をふるう変異株「オミクロン株」による新型コロナウイルスの第6波の感染急拡大も忘れてはいけないどころか、【忘れられない】コロナ禍だといってよいでしょう。このうち大震災と同時に起きた福島原発事故では全町避難が唯一続く福島県双葉町で1月20日から町民が自宅で寝泊まりできる準備宿泊が始まりました=宿泊申し込みは19日の時点で11世帯の15人=が、これも忘れられません。
 ところで私自身の取材経験を振り返れば、長野富山連続女性誘拐殺人、中部日本海地震、長崎大水害、ソ連機による北海道宗谷岬沖オホーツクの海への大韓航空機撃墜事件……と。かつて記者として現地に急行するつど無残な惨状を目の前に「この現場を忘れるな」と自問自答してもきました。「忘れろ」と言われたところで忘れられないものは忘れられません。

 忘れるな。いや忘れてしまえ。この相反する気持ちこそ、人々に与える傷口が大きければ大きいほど、より顕著なものとなって私たちの胸に大きく突き刺さってくるのです。私は昨秋、愛する妻にがんで先立たれましたが、妻との生前の良き思い出はいつまでも忘れてはならない。忘れないことこそ、家族の人生を支えていく、と信じてもいます。
 一方で人間だれしも、少しは忘れてしまわなければこの先の人生を生きてはいけなくなるのでは―─といった疑心暗鬼にかられることも事実なのです。だったら、どうして生きていけばよいのでしょう。忘れる。いや忘れない。忘れられない。すなわち今がスタート点なのです。何事も心を亡くしてはいけないのです。(2022/2/1)

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