連載 故郷福島の復興に想う 第18回――町が消えた 谷本 多美子(アイキャッチ画像 福島第一ハプテスト協会) 2024.10.24 2年ぶりにお盆に合わせて帰省した。今回も墓参りのついでに親戚や知人を訪ねたり、気になる場所をあちこち見て回ったりしたいと思い、息子にドライバーを引き受けてもらった。高速道路は、都内何か所かで帰省ラッシュに遭ったが、常磐自動車道に入ると茨城を過ぎたあたりから順調に走れるようになった。それでも普段よ
連載 故郷福島の復興に想う 第17回――13年が過ぎて 谷本 多美子(アイキャッチ画像 「西山家の田圃」) 2024.05.23 新しい年度となり、原発事故から13年が過ぎた。能登半島地震からも早5か月。新学期を迎えて、能登地方の一部の地域の子供たちが自分たちの故郷の小学校で入学式を迎えたとニュースで報道されていた。新年早々の大地震や津波のニュースには大変なショックを受けた。1月の北陸地方の寒さは、積雪もあり、南関東に住ん
連載 故郷福島の復興に想う 第16回――13回目の3・11 谷本 多美子(アイキャッチ画像 請戸の被災者慰霊碑) 2024.03.21 13回目の3・11が巡ってきた。年を経るごとに、記憶は薄れるどころか、言いようのない感情に襲われる。視覚から、聴覚から、情報は水のように入り込んできて、全身に積もってしまったようだ。 少し前から、メディアを通じて、東日本大震災の被災地の今、や被災者についての報道がされてきた。真っ先に、福島の原発
連載 故郷福島の復興に想う 第15回――神奈川避難者と共に歩む会に参加して 谷本 多美子(アイキャッチ画像 歩む会談話室) 2024.02.22 2024年2月3日節分の日、横浜市中区の波止場会館で行われた「神奈川避難者とともに歩む会」のイベントに参加した。筆者の母と妹も神奈川に避難していたのだが、二人の体調不良と、彼女たちのケアを筆者一人で担っていたために、精神的にも余裕がなく、一度も参加できずに今日まできてしまった。その母も亡
連載 故郷福島の復興に想う 第14回――核無き世界を願って鐘は鳴る 谷本 多美子(アイキャッチ画像 同慶寺鐘楼) 2024.01.25 間もなく東日本大震災、福島第一原発爆発事故から13年となる。事故当時に生まれた子供たちは13歳だ。現在の13歳の子供たちに、東日本大震災や福島第一原発事故のことを聞いてもほとんど知らないと言う。国内の、一つの県だけで起こった事故のことなど、時間の経過とともに人々の記憶から薄れてしまう。大人でも語
連載 故郷福島の復興に想う 第13回 ――カクテルパーティー 谷本 多美子 2023.11.23 東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故で、今なお立ち入り禁止の面積が62%(2023年2月現在)もある大熊町に、若い女性たちが移住し、毎月一回集まってカクテルパーティーを開いているという記事が、9月1日の朝日新聞朝刊2面に載っていた。「時時刻刻 大熊の誤算」とタイトルがついていた。サブタイトルには
連載 故郷福島の復興に想う 第12回 ――福島県立双葉高校創立100周年記念 谷本 多美子(アイキャッチ画像 双葉高校の現在) 2023.10.26 昨年、母校福島県立双葉高校の後輩から「来年は母校創立100周年記念祝賀会を予定しているから、ぜひ出席を」と連絡をもらった。「万障繰り合わせて参加します」とそのときは答えていた。後輩は母校の同窓会本部の会長でもあり、退職前の三年間は母校の校長でもあった。2011年3月11日から、母校は立ち入ること
連載 故郷福島の復興に想う 第10回 ――大熊町町長に会って 谷本 多美子 2023.08.24 夜になっても気温が下がらない、7月のある夕刻、都心部にあるホテルに大熊町町長吉田淳氏の話を聞きに行った。前回の通産省参事官の時と同様、福島県人会の企画による講演会だった。 冒頭、町長は自己紹介を短くする。東日本震災・福島第一原発爆発事故前は大熊町の職員であったこと、震災、原発爆発事故当時は直接避
連載 郷福島の復興に想う 第9回 故郷福島の復興に想う――IAEAとは? 谷本 多美子(アイキャッチ画像 福島県災害復興祈念公園建設予定地) 2023.07.27 東日本大震災・東京電力福島第一原発事故から12年が経った。この12年間、復興という言葉だけが先行しているように感じ、それは今も続いている。確かに震災直後の生々しい様子は見られなくなってきたが、毎回帰省するたびにインフラが整備されていく故郷を見て、いったい誰が、誰のために、莫大な税金を投入して、人