講演とシンポジウム「ウクライナの核危機――林京子を読む」報告   文学者たちの眼差し 村上 政彦

 その眼差しは、常人の眼差しと、どう違うのだろうか? 
 2月23日に神奈川近代文学館で催された講演とシンポジウム「ウクライナの核危機――林京子を読む」を振り返ってみたい。
 当日、横浜は青空が広がっていて、海も穏やかに凪いでいた。神奈川近代文学館は港の見える丘公園の中にある、静かな佇まいの施設だった。集って来る人々もどことなく、文学的な雰囲気を醸し出している(文学的な雰囲気って何?)。
 イベントは第1部基調講演、第2部シンポジウムというプログラムで組まれていた。基調講演の講師は、小説家の青来有一さんである。すぐれた小説の書き手であると同時に、長崎原爆資料館の元館長を務めた。林京子作品の屈指の読み手でもある。
 青来さんは、参加者に年表を示しながら、丁寧に林京子の文業をたどり、彼女と出会ったとき、好きな作家は? と訊かれて、ためらいなく、中上健次と答えた。その瞬間、2人が同じ同人誌の書き手であり、当時、中上が林京子を激しく批判していたことを思い出し、しくじったと悔やんだが、彼女はあっさり、そうか、中上君ね、とこだわりなく応じた逸話を披露した。
 また、青来さんは、翌24日にロシアによるウクライナ侵攻から1年が経つことについて、文学の役割として、「文学には憎しみを溶かす力がある」と述べた。
 第2部のシンポジウムは、僕――村上が司会・進行を務めた。登壇したパネラーは、川村湊さん、青来有一さん、宮内勝典さん、森詠さんの4人だ。ここでの議論のコアは、ロシアが核兵器の使用を暗示する言い方をしていることに対して、文学は何ができるのか? ということだった。
 また、ぼくは司会として、ロシア軍がチェルノブイリ原発を占拠したことで、ひとたび戦争が起これば原発は核兵器に様変わりする、核兵器と原発は同じものであると述べ、いま日本が原発推進に向かっていることをどう思うか? と問題を提起した。
 宮内さんは、虚しいね、ここで何を言っても、ロシアには届かない、と述べた。川村さんは、ロシアには届かなくても日本政府には届く可能性がある、原発を廃止するように声を上げるべきだ、と応じた。
 さらに、川村さんが、まさかロシアがウクライナに侵攻するとは誰も思わなかったと述べると、森さんが、ヨーロッパなどの戦場を取材した体験を述べ、それは違う、かなり前から消息通は分かっていた、と応じた。ここでは、かなり、議論が白熱した。
 さて、講演・シンポジウムが終わって、中華街で打ち上げをしたときのことを少し書いておこう。
 イベントに関わったスタッフ、登壇者など、関係者が、それぞれが一言ずつ挨拶したとき、青来さんは、シンポジウムでの宮内さん、森さんたちの、自由な発言を聴いていて、このおじいちゃんたちは話をまとめる気があるのか、全共闘世代はどこでもコントロールが難しい、と感想を述べ、会場の笑いを誘った。
 最後に。僕は司会・進行役だったので意見を述べるのは控えたが、ロシア・ウクライナ戦争について、一言残しておきたい。
 この戦争の駆動力となっているのは物語だ。ロシアの側は、ファシストから同胞を守る解放者の物語、ウクライナの側は、侵略者から祖国を守る英雄の物語――この物語を凌駕するグランド・ストーリーを語ることが、文学者に求められている。それを見通すのが文学者の眼差しである。

(初出 「脱原発社会をめざす文学者の会」会報27号)

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