米大リーグで今季のアメリカンリーグの最優秀選手に満票で2年ぶりに選出された大谷翔平選手に始まり、パレスチナ自治区ガザ市にある地区最大シファ病院での底知れない悲劇、米サンフランシスコでの米中首脳会談での米中双方の戦略的互恵関係の確認、同じサンフランシスコの日中首脳会談での東電福島第一原発の処理水海洋放出問題の「対話による解決」など。
相変わらず変転著しい世界にあって、私はといえば、です。最近、高校時代のクラス会に続き、かつて共に4年間学んだ大学の同窓会にも出席。旧交を回想しながらの、こうした再会劇となると、ホントに久しぶりのこと。このうち高校時代のクラス会は、恩師ふたり(二村、石田の両先生)の頭文字を冠した【二石会】、そして大学の方は【第17期同期会 卒業55周年パーティー】といったものでした。
どちらも久しぶりどころか、中には何十年ぶりかで会う懐かしい顔を目の前に互いに旧交を回想しながら昔を振り返ったことは事実で、なかでもかつて共に<美しい十代>を生き抜いた、あのころの美少年や美少女たち? が、若き日々の面影を少し残しながらも、やはり年月の積み重ねに、その老いは誰しも歴然といえようか。現に長い歳月を経てそうした老いの世界にいること自体が私には衝撃のひとときでした。確実に年を重ねた級友たちを前に、逆にかつてのクラスメートを見て私自身を知る。わが身の老いを感じる-とでもいえようか。私が友を見たと同じように友の目には逆に私の姿が、老いて見えたに違いありません。
「ああ~、おい。いがみか。おまえも俺と一緒であれやこれやと随分苦労してきたのだな」と。口でこそあからさまに言わなくとも、出席した誰もが互いに、かつての友の姿を目の前にそう思ったに違いありません。実際、互いに言葉を交わすうち、友の表情そのものが青春時代に次第にプレイバックし、懐かしい日々について語り合う、そんなすてきなひとときとなったのです。
そして。私たちはともに語り合い、旧交を回想しながら、しみじみと思いました。友情って。一体何だろう、と。このうちつい先日、名古屋であった大学の同期会でのこと。私は、与えられた「ひとり1分のスピーチ」でマイクを手に、こう言いました。「私は中学、高校、大学と柔道一直線に生きてきた。そして中学3年で講道館柔道初段を。大学2年には実力3段を取得。あのころボクはインタハイの候補選手として当時、柔道部のマネジャーを務めたここにいるS君に伴われ、東京の講道館に行きました。大学卒業後は、ひとりの新聞記者として、さまざまな事件や災害、事故現場を取材して歩きましたが、悲惨な現場に立てば立つほど母校の教育理念である【人間の尊厳のために】が頭から離れなかった-ことなどにつき1分以内で簡潔に話し、燃えるような拍手を浴びたのです。
ここで話はかわりますが。最近、かつて地球一周の船旅をした時のピースボートの船友から、こんなメールが私あてに届きました。それは私が出版してまもない新刊『あたし帰った かえったわよ』(人間社)に関する読後感を含んだもので「素晴らしいかった。ところで伊神さん、ちゃんとご飯 美味しくいただけてますか ちゃんと幸せに過ごせてますか」と。この問いかけには、正直ジ~ンときて、これまた「(船友の)友情だな」とそんな気がしたのです。
一方で私の耳底には、亡き妻の「何やっとるの あなた もう行くよ 早くぅ 行くのだから 行かなくっちゃあ」の声も。かつて亡き妻が、よく私に語りかけてくれた-今となっては、この言葉も忘れられないのです。友とは、友情とは。かつての私たちの夫婦愛にも似て。良きものだと思う。みなさんも互いの心、友情を大切にしてくださいね。そして。互いにかけがえのない良き日々を過ごしましょう。
以下は、先日歌ったわが母校の学生歌の一節である。
♪清れい八事の山近く
緑にしげき松の風
仰いで高き青空よ
正しき心の若人が
自由と平和守り行く
ほまれはここに我南山
輝く母校 我南山
(了)
(2023/12/1)