<連載>原発の蔭と影 第30回(最終) 沖縄の電力事情 天瀬裕康

 日本の南西端に拡がる沖縄県(人口約140万人)は、東西1000Km、南北400Kmの広大な海域に点在する、大小約160の島々から構成される島嶼県で、電力会社兼一般送配電事業者である沖縄電力㈱が、沖縄本島及び36の有人離島に電力を安定供給しております。
 電力の歴史は1910(明治43)年12月に、沖縄電気が那覇市で電気の明かりを灯したことから始まりますが、これには紆余曲折があります。大正から昭和にかけては、名護電灯、宮子電灯、八重山電気の3事業者が開業しております。その後も小さな電気事業者が出没しましたが、戦争末期の41年には沖縄の電気事業者4社が九州 配電に統合されました。
 戦後は米軍により琉球電力公社が作られますが、沖縄の本土復帰とともに沖縄電力となって復活するのです。それでは琉球電力公社など古い処を振り返り、地域の特性に応じたエネルギー供給の取組を眺めながら、沖縄の電力事情を考えてみましょう。

 戦後の沖縄は、米軍とともに小さな電気事業者が乱立し、やがて琉球電力公社に吸収されます。これは米国民政府布令に基づく公社で、英語は Ryukyu Electric Power Corporation
と書きますが、沖縄電力の前身ともいえる組織でした。
 従来は民間も米軍も、発電機を利用して電気の需要をなんとか賄っている状態でしたが、この状況を改善すべく米軍は、村(現浦添市)牧港に火力発電所を建てることにしました。これによって米軍の需要はすべて満たされ、余剰の電力を民間にも供給することにな
ります。1954年に米国民政府は、牧港火力発電所から発電した電力を供給する機関として、「琉球電力公社」を設立し、発電と送電業務を担当させることにします。配電業務は民営の配電会社が行なうことになっていました。
 沖縄本島以外では、八重山電力、宮子電力、久米島電力、伊江村営、伊是名村営などの電力会社が設立され、その他20ほどの小規模電気事業者も存在していました。その後急速に電力の需要が増加しましたので、アメリカ製の発電船を使って急場を凌ぐ一方、新しい
発電所の建設をすすめ、65年に金武火力発電所が完成します。
 これを機に、米軍に委託していた電力系統の管理を琉球電力公社が担い、72年5月15日、沖縄の日本復帰に伴い解散し沖縄電力に移行するのですが、それまでに琉球電力公社は、小さい多数の電気事業者を自分の所へ吸収しておいた、といえるかもしれません。

 それでは視座を沖縄電力に移して、以後の経過を眺めることにしてみます。沖縄電力は略称「おきでん」、英語は The Okinawa Electric Power Company, incorporated で、沖縄県浦添市に本社があります。浦添市は県庁の所 在地である那覇市の東北に隣接した琉球王国の古都で、沖縄本島の南部地区と中部地域の境界に在ります。人口は那覇市、沖縄市、うるま市に次いで、4番目に多い都市です。
 設立日は1972年5月15日で、他の9つの大手電力が1951年5月1日に揃って設立していますが、この時点での沖縄はまだ、アメリカに占領されていたのです。沖縄の日本復帰は1972年5月15日ですから、同じ日に沖縄振興開発特別措置法に基づき、琉球電力公社の全発送電部門と一部の配電部門を承継し、日本政府と沖縄県が出資する資本金137億28百万円(のち減資)の特殊法人として発足しました。 
 76年4月には配電会社5社を吸収合併し、発送・配電の一貫体制を確立しました。82年1月は全島電化を達成し、88年10月には民営化します。89年7月には、電気事業連合会・中央電力協議会のオブザーバー参加。96年12月には台湾電力と交流協定を締結します。
 2002年3月には東京証券取引所市場第一部へ上場。16年3月には沖縄本島と渡嘉敷間における海底ケーブルの運用を開始しました。

 20年度の沖縄県内電力使用量は約77億kWh となり、最大電力は 157万2千kW (送電端)となり、設立時(1972年度)の約4倍まで増加しています。長期的な電力使用量は、人口の伸びなどにより緩やかに増加するものと思われ、会社側は2019~30年度までの年平均伸び率を+0.5%と想定しています。
 その沖縄では地形的に水力発電は困難、電力の需要規模から原子力も困難で、主体は火力発電。したがって電力のエネルギーは化石燃料に頼らざるを得なかったのですが、CO₂の問題があります。2012~13年にはLNG(液化天然ガス)を燃料とする吉の浦火力発電所の1~2号機が営業運転を始めました。石油や石炭に比べるとCO₂排出量の少ないLNGを使うことで、地球温暖化対策への取組みも強化されたわけです。
 沖縄電力は事業規模が1県だけのため、大手10社中10位で最小ですが、小さいながらも安定型電力会社とされています。北から各社の電源構成を眺めてみましょう。
 北海道電力は道内に石炭の産出があるためか、石炭火力発電の割合がやや高めですが、東北は平均的な電源構成です。東京電力は最大級の規模ですが、福島第一原発の事故で発言力が落ちました。中部電力は天然ガスによる割合が高く、火力発電部門は東電と統合しています。北陸電力は黒部ダム(富山県)を中心にした水力発電と、石炭火力に偏っています。関西電力は原発に力を入れております。中国電力は石炭への依存度が高く、島根原発の再稼働を目指していますが、原発依存度は高くはありません。四国電力は天然ガスの割合が低いことを除けば偏りの少ない構成です。九州電力は、原発と太陽光の割合の高いのが特徴です。そして沖縄電力は、他の地域と送電網が繋がっておらず、原発ナシという
特徴があります。
 この最後の部分の意義をよく考えて頂きたいのです。沖縄電力は1県だけを相手の小さな電力会社ですが、沖縄県の人口は最小ではなく、25番目です。ですから大手電力の中でも電力の浪費を止めれば、原発ナシでもやっていけるところは少なくないはずです。
 それでは、東日本大震災・東電福島第一原発によって福島から広島へ転居してこられた人たちのお話から始め、「会報」・「会員の原稿」・「連載」と続けたこのシリーズ、ここで終わらせて頂きます。ご精読、有難うございました。
                              (2025年4月10日)

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