第17回 国葬が終わり、新時代の夜明けを思う 伊神 権太

 東京・日本武道館での安倍晋三元首相の国葬が9月27日に終わった。これより先の8日に96歳で死去した英国のエリザベス女王の国葬が現地時間の19日午前11時(日本時間同日午後7時)から、かつて私も訪れたことがある首都ロンドンのテムズ川河畔ウェストミンスター寺院で行われ、日本の天皇、皇后両陛下はじめバイデン米大統領ら世界各国の国家元首、首脳らが参列し行われました。テレビに映し出される画像を見て私は、その一コマひとコマに亡き女王のもと、国全体がひとつになっている。そんな印象を受けました。
 女王の国葬の模様は、日本の新聞各紙でも【「母」へ 最後の別れ 英エリザベス女王国葬2000人参列】(毎日20日付朝刊)【英女王国葬 世界が別れ 2000人参列 敬意と追悼の祈り】(中日・東京20日付朝刊)と報じられ、世界中の多くがその通りだなと思ったに違いありません。と同時に、ことし7月8日に奈良市内で不幸にも突然の銃撃で世を去った安倍晋三元首相の国葬問題が頭をよぎったことも事実です。私は国葬をやる以上は、ニセモノであってはいけない。国民の誰もが認めるものでなければ、とも思いました。では、このふたつの国葬。一体どこが、どう違ったのか。

 それは、ひと言でいうなら、国葬そのものが国民から純粋に歓迎されているか、いないかに尽きます。この点からすれば、エリザベス女王の死は国民のだれもがすなおに惜しみ、別れの旅立ちを心から悲しんだ、といえます。これに対して、不幸にも旧統一教会信者家族の手で銃撃死した安倍元首相の場合、当然ながら国民一人ひとりの胸の中にどこかモヤモヤとした澱(おり)のようなものがあり、すなおに歓迎されている、とはとても思えなかった。ふたつの国葬の違いは、その点にありました。
 エリザベス女王の場合、伝統がもたらす威厳とか気取りを捨てウオーク・アバウト(人々の中へ入ろう)の精神を徹底した【開かれた王室】に加え、女王自身の気品ある人柄への国民の親しみと愛着も忘れられません。一方で安倍元首相は、となると。東日本大震災後の被災地訪問と住民との対話など復興にかけた意欲、ほかに三重県志摩半島での伊勢志摩サミット実現、拉致問題はじめ自由で開かれたインド太平洋時代への取り組みなど。こうした点での貢献と感謝の気持ちは確かにあるでしょう。
 でも、その半面での森友学園への国有地払い下げに伴う公文書改ざんや加計学園グループの獣医学部新設をめぐる不正問題、内閣総理大臣自らが主催しての独断専行ともいえる「桜を見る会」など。国民生活を無視した一国の首相にあるまじき独断かつ専行政治に対する反発は根強く、国民全体から歓迎された-とはとても言えません。

 ともあれ、55年前の吉田茂元首相いらいとなった安倍元首相の国葬は多くの日本国民の反対と容認、沈痛なる思いと世論が割れたなか何とか終わり、国民の多くがホッとしたことも、また事実です。二度と、こんな欺瞞に満ちた国葬など見たくもない、と思った人もいたでしょう。でも、ここは、モノは考えようです。今回のこの不幸極まる国葬を新たな日本の夜明け・出発点と思ってみたらどうでしょう。
 いずれにせよ、国民の声が賛否に分断、反対の声が渦巻いた国葬が事故もなく終わりました。これを歴史の一つの踏み台に。何よりも互いに互いを思いやり、かつ人間の尊厳を大切に【平和な時代への希求と併せて日本が他の国の模範になる】のなら、と願うのは私だけではありません。この際、安倍さんの死を教訓に戦争とか原発事故のない理想郷をめざし、ホップ・ステップ・ジャンプといきたいものです。過ぎしものは帰りません。(2022/10/01)

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