<連載>原発の蔭と影 第30回(最終) 沖縄の電力事情 天瀬裕康 2025.04.15 日本の南西端に拡がる沖縄県(人口約140万人)は、東西1000Km、南北400Kmの広大な海域に点在する、大小約160の島々から構成される島嶼県で、電力会社兼一般送配電事業者である沖縄電力㈱が、沖縄本島及び36の有人離島に電力を安定供給しております。 電力の歴史は1910(明治43)年12月に、
連載 原発の蔭と影 第29回 中国電力と違法行為 天瀬 裕康 2025.03.20 電気は私達の生活になくてはならない大切なものです。それがトラブル隠しなどの法律に引っ掛かりそうなことをしてくれるのは悲しく残念なことですが、ロシアのウクライナ軍事侵攻(2022年2月24日)とともに起こった燃料の高騰は、大手電力の経営を圧迫し、中国電力(株)(以下、中電と略す)などが値上げの申請
連載 原発の蔭と影 第28回 島根原発の概略 天瀬 裕康 2025.02.20 このシリーズの記述が中国電力の範囲に入ってから、まだ生まれていない山口県の上関原発の、賛否両派の争いに時間を取ってしまいましたが、現実に稼働してきた島根原子力発電所(以下、島根原発と略します。英語名は Simane Nuclear Power Station )にも触れておかねばならないでしょう
連載 原発の蔭と影 第27回 中間貯蔵施設浮上 天瀬 裕康 2025.01.16 いささか出遅れの挨拶ですが、皆さん、あけましておめでとうございます。今年の政局は目を離すことのできないほど切迫したものがありますし、原発関係は好ましくない方向へ変わりそうですが、中国電力(中電)の上関町での動きを追ってみましょう。上関原発は、賛成派・反対派のいずれも決定的な勝利を得ぬまま推移して
連載 原発の蔭と影 第26回 上関町の今後 天瀬 裕康 2024.12.19 2011(平成23)年2月21日、中電は中断していた埋め立て工事を1年3ヵ月ぶりに再開しました。田ノ浦に数百人規模の作業員・警備員を動員して、深夜の強行作業を行い、反対派住民との激しい攻防を始めたのです。 同月23日には、田ノ浦で抗議活動をしていた住民2名が作業員の下敷きになって負傷する、という
連載 原発の蔭と影 第25回 祝島の抵抗 天瀬 裕康 2024.11.14 上関原発建設計画に反対する祝島住民ら約50人は、5月10日に、全国から集めた「原発建設計画中止!」を求める238,875人分の署名を、経済産業省に追加提出しました。この署名は前年10月の612613筆に続き2回目で、合わせて851488筆となりました。経済産業省原子力安全保安院は5月31日、上関
連載 原発の蔭と影 第24回 祝島の反対運動 天瀬 裕康 2024.10.17 前号(第23回)は、2003(平成15)年あたりまで述べましたが、本号ではこれにダブりながら、2005年以降を主体に話を続けてみましょう。 電力会社による土地や人間の買収は原発小説にはよく出てきますが、お寺や神社の聖職者が反原発派であることも稀ではありません。上関原発でも少し以前から顔を出してい
連載 原発の蔭と影 第23回 祝島の人の動き 天瀬 裕康 2024.09.19 前回は上関における原発推進とそれに対する反対運動の始まりに関し、1983~86年につき述べ、反対運動の主体になる祝島の自然の概略も描きましたが、それでは今回は主として平成時代になってからの、祝島の原発反対運動の軌跡を眺めてみましょう。 それは一口に言うと、苦しい互角の戦いでした。1989
連載 原発の蔭と影第22回 上関原発と反対運動 天瀬 裕康 2024.08.16 前回ちょっと触れたところですが、上関町の町議会で初めて原発の話が出たのは1982年6月のことです。このあと、10月には中電側が「上関が有力」と発言し、さっそく11月には祝島の反原発運動組織「愛郷一心会」が組織されます。推進派は少しもたついていましたが、12月には「上関町の発展を考える会」が正式に
連載 原発の蔭と影第21回 上関原発への初動 天瀬 裕康 2024.07.18 前回は1989年2月に、島根原発2号機が営業運転を始めたところまでお話しました。これは日本で36番目、平成時代になってから営業運転を始めた最初の原発だったのです。1・2号機を合わせた出力は128万kWになり、発電電力量における原子力発電比率は、約20%になったのですが、中国電力はまだ欲を出して、