連載 故郷福島の復興に想う第1回 双葉町役場新庁舎再スタート 谷本 多美子

 2022年8月30日、双葉町の一部が特定復興再生拠点として、避難解除された。続いて9月5日、双葉町役場が新庁舎で11年半ぶりに再スタートした。5階建ての立派な元の役場は帰還困難区域の中に残り、20~30メートル南側には放射性廃棄物の中間貯蔵施設もできている。新庁舎と旧役場との距離は2、3㎞くらいしか離れていない。旧役場のすぐ近くには筆者の父の生家があり、子どもの頃からわが家のようにして泊まりがけで遊びに行っていた。高校も父の生家から近い福島県立双葉高校だったので、どのような場所に町の中心となる建物が建てられたのか、大体見当がつく。
 その父の生家も、従兄が後を継いでいたのだが、一年前、ついに解体された。3年間通った双葉高校も事故当時のままの姿を留めて休校となっている。来年創立100周年を迎える母校の記念式典も計画され、母校の再開を切望する卒業生たちによって、着々と準備が進められている。が、筆者自身は双葉高校の再開はほぼ絶望と思っている。
 従兄一家は現在双葉町から約30㎞北の南相馬市原町区に移住している。従兄の奥さんが家の解体の様子を写真に撮り「七代続いた家もついに解体」と表題をつけて送ってくれた。事故直後に何か所も避難所を転々として辿り着いた埼玉アリーナから、次に移った埼玉県騎西高校の避難所から、三番目に抽選で当たった会津の仮設住宅から、いつ帰れるともわからない家の掃除に防護服を着て何年も通い続けた従兄夫婦の無念さが、写真にも文字にも滲んでいた。
 長く放射能に汚染されていた双葉町の15%が特定復興再生拠点となり、双葉駅が新しく建て直され、災害公営住宅、原子力伝承館、産業交流センターなどが建設された。特定復興再生拠点とは、帰還困難区域ではあるのだが、町の要望により、国が認めた町の一部分をいうのだと、従兄の奥さんが教えてくれた。双葉町の約85%は未だ立ち入り禁止区域だ。100%危険な町の一部を除染し、言葉を換えて安全としているのではないか。災害公営住宅のすぐ近くは山だ。山は除染していない。雨が降れば放射能を含んだ水が住宅に流れ込むことはないのか、と不安はぬぐえない。
 駅も役場も新しくなった双葉町に戻っている人々は、聞くところによると10%未満とのこと。双葉町のホームページを開くと、2022年8月30日現在、双葉町に住民登録をしている人口5,560人、世帯数2,171、7月31日現在よりも減っている。これから先さらに減り続けていく予感がする。
 2022年10月1日、災害公営住宅に入居が始まった、とNHKテレビのニュースで報道していた。町は86戸の町営住宅の整備を進めていて、今回完成した25戸のうち18戸の入居が決まっているとのこと。1日午後に避難していたいわき市から11年半ぶりに故郷での生活を再スタートさせた80代の女性がインタビューに、「自分の家に帰ってきたような安心感があり、ほっとしました」と答えていた。急にマイクを向けられて、本音を語れるだろうか、と思いつつテレビの画面を見つめた。一足早く避難指示解除になった南相馬市でも高齢者たちが、自分たちが長年住んでいた土地には戻れなくて、新しく建設された災害公営住宅に入居はしたものの、知り合いもなく、次第に引きこもるようになっていったと聞いている。
 再スタートした双葉町役場の職員も、地元に戻って勤務しているのは、聞いた話では1名とのこと、町長以下職員の多くは移住先または仮住まいからの通勤だ。一部は単身災害公営住宅に入居して通勤する職員もいるようだ。再びインターネットを開いて、2022年5月にドローンで撮影された双葉町役場周辺の復興状況を見た。中心市街地の、羽鳥、長塚、中野、両竹地区は、上空から見ると道路も広くなり、風景も広々と見える。元は田園地帯で所々に民家が点在していた。双葉町は小さな町で、面積の多くは農地や山林だ。農地や山林がその役割を果たせる日はいつのことだろう。いつか戻るつもりなのか、諦めてしまったのか、事故当時のまま、屋根が壊れ、窓が割れ、崩れそうになったまま放置されている家がまだあるのだと従兄の奥さんが話していた。
 2月にロシアがウクライナに軍事侵攻してから、9か月になる。戦争の恐ろしさ、愚かさを我々は毎日どこかで耳にし、目にしている。ウクライナの破壊された都市や、町や、村の映像は故郷福島の核災の姿そのものに見える。ミサイル攻撃はないが、放射能という目に見えない武器によって、家も土地も、コミュニティーも、何もかも破壊され尽くしてしまった。
 物理的に破壊されただけなら、時間はかかるが新しく建て直すことは可能だが、放射能で汚染された土地は、近寄れば命の危険がある。今手元に「私はフクシマ原発事故の証言者」という一冊の小冊子がある。副題に「50人の狂わされた人生」とついている。菊池和子さんという方が、11年前から被災者に心を寄せ聞き取ってきた貴重な記録だ。証言者の一人双葉町出身のIさんは語る。「ハンコを押せば三日で風景が変わる。中間貯蔵施設というけど、みんな最終処分場と思ってる。放射能汚染物質を双葉や大熊に持ってくるのに、人が戻るわけはない。思い出と名前(地名)だけが残る」中間貯蔵施設用に、所有する土地を売却して欲しいとの、国の求めに対しての気持を語っているのだと筆者は理解した。
 生まれてから老いるまで、故郷に根ざして生きてきた人々の、今もまだ消えない悲しみ、苦しみ、怒りを思うとき、とても鈍感ではいられない。
 筆者の父の生家も放射性物質の中間貯蔵施設から約30メートルの下条というところにあった。従兄たちがまだ会津の仮設住宅に避難中、同じ集落の一人の主婦が、自宅から五百メートルのところに中間貯蔵施設が建設されると聞いて悲観し、避難所で自ら命を絶った。彼女の夫は原発で働いていたが、事故の前に癌で亡くなっている。一人になって、不安を抱えながら避難生活を送っていた女性にとって、中間貯蔵施設建設は命を絶つほど深刻な問題であったのだろう。
 下条から約2キロメートル東に郡山海岸がある。すでに核発電所からの汚染水を放出するための工事が始まっている。すぐ隣は請戸漁港だ。津波で町がすっかり流されてしまたった請戸は、漁業の再開が始まったばかりだが、郡山海岸から汚染水が流されれば、風評被害どころではない。先日、韓国が汚染水の太平洋への放出に懸念を示したのに対して、日本側が、汚染水ではない、処理水だと答えていた。あまりおもしろくもない日本のジョーク集の一つにでも加えられそうな返答だ。特定復興再生拠点もジョークの一つに数えられそうだ。
 今年の七月安倍晋三元総理の銃撃事件以来、旧統一教会が何かと取りざたされ、実態が明らかにされてきているが、筆者の夫も三十数年前、統一教会の霊感商法に洗脳され、預金のすべてを騙し取られた。筆者の友人のひとこと、「えげつないわね、人の弱みにつけ込んで」に、騙されたことに気付いて、かなり痛い思いをしながら夫婦で力を合わせて戦った。我々ばかりではない。騙し取られた多くの人々の財産は文鮮明に直結し、あの時点ですでに自民党への献金云々が一部のマスコミで報道されていた。が、一国の元リーダーが殺されるまで、継続して報道されることはなかった。それもそのはず、五十年以上も前、殺害された安倍氏の祖父に当たる人物と統一教会の教祖文鮮明とは深い繋がりがあったのだ。
 五十年以上ものあいだ、統一教会と政治家、圧倒的に多い自民党の政治家たちと甘い関係が続いてきたのだから、政治家たちの頭脳はかなり汚染されてしまっているだろう。先日中村敦夫さんが新聞のインタビューに、統一教会にからんで、日本の政治家たちの劣化、日本の劣化、とコメントしていた。ここにきて岸田総理は原発の新設、原発の耐用年数の撤廃と言い出した。これは重症の劣化だ。ウクライナに軍事侵攻したロシアのリーダーが核兵器の使用をちらつかせて我々を緊張に陥れているとき、福島の核発電所爆発後の問題がますます深刻化しているとき、唯一の被爆国のリーダーが、存在するだけで危険な核発電所の新設や、耐用年数の撤廃などとどうして言えるのだろう。
 命よりも、復興、の二文字のための復興を優先させてはならない。

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