連載文士刮目 第26回 ペンは剣より強し、とは言うけれど 伊神 権太  (アイキャッチ画像:この人生、いつだってフワッとしたユーモラスさも望まれる。生前によくして頂いた中道風迅洞さんの『新編どどいつ入門』

 今回はまだ安心こそ出来ないが、新型コロナウイルスが5月8日から感染法上の区分で「五類」となり人類を襲ったコロナ禍がなんとか収束しつつあるところで、自身の過去の一端を振り返ってみたい。これまで歩いてきた自分の道は「これでよかったのか」。反省と自戒をこめて。これら私のつたなき道が何らかの形で少しでも世の中のお役に立てたなら、と。そう、願ってです。

 私は昭和42(1967)年7月、当時は超難関だった新聞社の入社試験に合格。翌43年春には満22歳で新聞記者に。入社まもなく松本支局に着任。カルメン・マキさんの<時には母のない子のように(寺山修司作詞)>がヒットしており、寂しさもあり、北アルプスの山並みをバックに母を思い出しては、よく口ずさんだものです。いらい、各地をわたり歩き、定年退職後はドラゴンズ公式ファンクラブの会報編集担当として数年の間、在籍(当時は落合博満監督のドラ全盛時代でスポーツ紙に連載【ガブリの目】を書き、ファンのコーナー<ファンクラブ通信>を設けるなどした)。この後も一匹文士(いっぴきぶんし)を名乗り、ペン一筋に生きてきました。
 というわけで、ペンを手にして早や55年。お恥ずかしい限りですが、入社式で居並ぶ幹部を前に「世界一の新聞にしてみせます」と大言壮語した日のことは今も強烈に覚えています。とはいえ、それからの歳月は生やさしいものではなく山あり、谷あり…の厳しい日々の連続でした。

 駆け出し時代の北アルプスで続発した山岳遭難に始まり、志摩半島ではタンカー沈没に伴う重油漂着による海女漁のストップ、岐阜県庁汚職事件に長良川決壊豪雨、名古屋のキャッスルホテルを舞台とした愛知医大を巡る三億円強奪、そして〝空飛ぶ記者〟だった名古屋小牧の社会部時代には北海道オホーツクの海への大韓機撃墜、長崎大水害、中部日本海地震、赤いフェアレディーZに乗って犯行を重ねたトンボ眼鏡の女による長野富山連続女性誘拐殺人、三宅島噴火、日航ジャンボの御巣鷹の尾根への墜落など。生と死のあわいと言っていい悲惨な現場に足を踏み入れたこととなると、数え知れません。

 そして。この間に書いた連載企画記事は<海女その世界>、<黒い主役を追って><空港昨今><名空港新時代><能登の方言><半島記者たち><港の町づくり><能登人間物語>、海を感じる心を国内外に発信しようーと七尾青年会議所はじめ加藤省吾さんや森繁久彌さんらの理解と協力を得て展開した海の詩(うた)全国公募に伴う<港の町づくり>キャンペーン、故長谷川龍生さん(前大阪文学学校校長で詩人)提唱による全国の詩人が一同に会しての<能登島パフォーマンス>、その後も<オランダ花物語><天秤棒担いで><カラスの子><(読者からの)都々逸短冊><同人誌その土俵><サンデー版の300文字小説>など。手掛けた企画連載となると、数知れず、【能登人間物語】と【野に咲く湖国の花々】は、一冊の本として開花しもしました。
 ほかに滋賀版での【おくやみ欄】創設も忘れることが出来ません。

 そこには新聞人としての【真実・公正・進歩的】の精神。そして新聞社の大先輩が説いた【広く聞き、深く考え、強く戦う】の教えを読者のみなさまにも知ってほしい。そう思う気持ちがあったから、です。そして。この先どんな事態が訪れようとも、私はわが母校の建学の教えでもある【人間の尊厳】を抱きしめ、世界平和を願って生きて行こう―と。そう心に誓っています。どなたとて。人生まだまだ。これからではないでしょうか。それはそうと、最近【地方の時代】が復活しつつあるようです。喜ばしいことですよね。(2023/7/1)

新編どどいつ入門」帯。
『新編どどいつ入門』帯。

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