連載 原発の蔭と影 第25回 祝島の抵抗 天瀬 裕康 2024.11.14 連載 上関原発建設計画に反対する祝島住民ら約50人は、5月10日に、全国から集めた「原発建設計画中止!」を求める238,875人分の署名を、経済産業省に追加提出しました。この署名は前年10月の612613筆に続き2回目で、合わせて851488筆となりました。経済産業省原子力安全保安院は5月31日、上関
連載 原発の蔭と影 第24回 祝島の反対運動 天瀬 裕康 2024.10.17 天瀬裕康「原発の影と陰」 前号(第23回)は、2003(平成15)年あたりまで述べましたが、本号ではこれにダブりながら、2005年以降を主体に話を続けてみましょう。 電力会社による土地や人間の買収は原発小説にはよく出てきますが、お寺や神社の聖職者が反原発派であることも稀ではありません。上関原発でも少し以前から顔を出してい
連載 原発の蔭と影 第23回 祝島の人の動き 天瀬 裕康 2024.09.19 天瀬裕康「原発の影と陰」 前回は上関における原発推進とそれに対する反対運動の始まりに関し、1983~86年につき述べ、反対運動の主体になる祝島の自然の概略も描きましたが、それでは今回は主として平成時代になってからの、祝島の原発反対運動の軌跡を眺めてみましょう。 それは一口に言うと、苦しい互角の戦いでした。1989
連載 原発の蔭と影第22回 上関原発と反対運動 天瀬 裕康 2024.08.16 天瀬裕康「原発の影と陰」 前回ちょっと触れたところですが、上関町の町議会で初めて原発の話が出たのは1982年6月のことです。このあと、10月には中電側が「上関が有力」と発言し、さっそく11月には祝島の反原発運動組織「愛郷一心会」が組織されます。推進派は少しもたついていましたが、12月には「上関町の発展を考える会」が正式に
連載 原発の蔭と影第21回 上関原発への初動 天瀬 裕康 2024.07.18 リレーエッセイ 前回は1989年2月に、島根原発2号機が営業運転を始めたところまでお話しました。これは日本で36番目、平成時代になってから営業運転を始めた最初の原発だったのです。1・2号機を合わせた出力は128万kWになり、発電電力量における原子力発電比率は、約20%になったのですが、中国電力はまだ欲を出して、
連載 原発の蔭と影第20回 島根2号機の誕生 天瀬 裕康 2024.06.20 天瀬裕康「原発の影と陰」 遅まきながら米画「オッペンハイマー」(35㎜フィルム版)を観ました。原爆の父と呼ばれ、のちには水爆に反対したためソ連との内通を疑われ、失脚したロバート・オッペンハイマーを主役にした映画ですが、家族から見れば不満があったようですし、ヒロシマからいえば廃墟も被爆者も出てこないという不満がありますが、
連載 原発の蔭と影第19回 中電、原発設置へ 天瀬 裕康 2024.05.16 天瀬裕康「原発の影と陰」 1951(昭和26)年51日に設立された中国電力㈱(以下、中国電と略す)は、他の電力会社の動向や政府の意向に沿って、原発設置の方針を固めます。 場所は島根県八束(やつか)郡鹿島(かしま)町片句(かたく)654番地―1――島根県の県庁所在地である松江市の北隣の、一畑薬師も遠くない、日本海に面した由
連載 原発の蔭と影第18回 中国電力出発 天瀬 裕康 2024.04.18 天瀬裕康「原発の影と陰」 また余談が入ってすみません。東京電力は柏崎刈羽原発7号機(新潟県)の再稼働に向けて準備を進めていますが、「4月15日から核燃料の装填を始める」と、原子力規制委員会に申請したそうです。福島第一原発の事故以後に再稼働した全国の原発はみな、地元の同意を得てから燃料を装填していますし、年内の再稼働を目指
連載 原発の蔭と影第17回 電力の官営・軍営を経て 天瀬 裕康 2024.03.14 天瀬裕康「原発の影と陰」 これまでに述べてきたように明治から大正にかけて、日本各地で電力会社の設立が相次いで起こりましたが、関東大震災を契機として電力会社の統合がすすみ、五大電力と呼ばれた東京電灯、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力の5社に収斂していきました。 しかし前回も触れたように、1939年の国家総動員法によ
連載 原発の蔭と影第16回 電車の発展と発電所 天瀬 裕康 2024.02.15 天瀬裕康「原発の影と陰」 能登半島地震に際し、やはり志賀原発は問題がいろいろ出てきつつありますが、他日、改めて検討することにして、広島地方の電気・電力事情を調べさせて頂きましょう。 文明開化の明治時代に、明るさと便利さの点でガス灯に勝った電気ですが、乗り物の動力としても実力を発揮するようになります。エレベーターや