連載 原発の蔭と影 第27回 中間貯蔵施設浮上 天瀬 裕康

 いささか出遅れの挨拶ですが、皆さん、あけましておめでとうございます。今年の政局は目を離すことのできないほど切迫したものがありますし、原発関係は好ましくない方向へ変わりそうですが、中国電力(中電)の上関町での動きを追ってみましょう。
上関原発は、賛成派・反対派のいずれも決定的な勝利を得ぬまま推移していましたが、中電は2023年8月、突然これまで原発立地として争ってきた山口県上関町への、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の計画を明らかにしたのです。これに対しては広島県内の6市民団体が8月25日、計画を撤回するよう中電に申し入れ、山口県では柳井市など4市町が難色を示しました。
しかしこの計画は4年も前から秘かに、上関町の町議会が非公開で協議を重ねていました。当時の上関町議会の議事録には、「絶対に外へは漏らさないように」という、議長発言が記載されていたのでした。

 2019年9月18日、のちに町長となる西哲夫議長は、町議会の全員協議会で視察先を、既に決まっていた九州電力の川内せんだい原発(鹿児島県薩摩川内市)から、東海第二原発(茨城県東海村)の視察に変えたのは、原発を巡って賛否で分断された町の歴史や、全国から注目を集めている祝島の反対運動などによって、原発推進派と目される町や議会は、絶えず批判にさらされていた、という事実が大きいでしょう。
 東海第二原発には、使用済み核燃料を金属容器に入れて保管する施設があり、中間貯蔵施設を知るには見学に適切な施設でした。ただし秘密会議の議論が熱を帯びてくるのは、この案を導入した柏原重海町長が病気で辞職し、西哲夫議長が町長になった20022年からです。
 中間貯蔵施設を誘致すべきか否かに論点が絞られ、他方では住民不在の意見集約に一部議員が方針変更を求め始めた頃、中電が上関町で中間貯蔵施設を検討というニュースが流れました。これでまた緊迫した空気が流れます。
 ここで客観的なデータを見ますと、原発予定地にもっとも近い四代地区の集落では23年に、無病息災を願うお宮の行事に中電社員を入れて十数人が集まり増したが、昔は境内を人が埋めていたそうだ。町の人口も1万人を超えていたのです。使用済み核燃料の貯蔵場所を建設する計画を、中電が同地区で説明する会に参加した約20世帯からは、反対の声はなかったものの疑問はありました。原発計画が浮上して以降、国からの交付金が77億余円、中電からの寄付金36億円を得ていますが、人口減少は止まっておらず、原子力がすべてを解決してくれるわけではなかったのです。中間貯蔵施設の問題にしても、賛否の集約に火花を散らし分断を加速させただけ、との見方もできるわけです。しかもここには関西電力の使用済み核燃料も貯蔵されるのだそうです。
 22年10月23日に投開票された上関町長選は、西哲夫前町議会議長の初当選になりましたが、彼は議事堂で職員に住民目線の職場にする発言を漏らし、原発反対派とも協力する姿勢もみせました。
 他方で原発のほうは、上関町が誘致を表明して40年経っても本体着工の見通しが立たぬまま、22年末に山口県は中電に海の埋め立て免許の3度目の延長、4年5ヵ月を認めたのです。16年・19年にも延長を許可しており、原発建立計画は生きていました。
 これに対して2023年末、上関町室津の作業小屋は活気にあふれていました。漁師たちが取れたばかりのアジ・メバル・イカなどを箱に詰めていきます。漁獲が少ない魚を直販する「上関お魚お任せパック」を始めたのです。養殖業に力をいれる人たちもいますし、リゾート開発を企画した人たちもいました。しかし福島の原発事故で、計画が止まり、リゾート開発は夢と消え、漁業も先細りになっていきます。

 使用済み核燃料を原発の外で保管する中間貯蔵施設は、青森県むつ市で国内最初の稼働準備中でした。上関町議会は21年の冬に視察し、当時議長だった西哲夫町長は、住民説明会や視察研修を繰り返し、タイミングを逸することなく施設建設の決断をすべきだと考えました。22年10月に西町長が初当選してからは、非公開の全員協議会は加速します。
 推進派議員の声が一気に強くなりましたが、反対派議員も負けてはいません。「施設を争点に選挙をして決めざるをえないのではないか」
 中電が中間貯蔵施設の計画を公表してから6日後、西町長は議会側に町民への説明を促しますが、結局、町としては説明を開かないまま西町長は、中電の発表から半月後の町議会臨時会で調査受け入れを表明しました。「町民は置き去りだ」との不満が出たそうです。
23年末の12月26日、山口県の村岡嗣政つぐまさ知事は、原発本体と中間貯蔵施設の併存は過大な負担だとの認識を示しました。
 24年になってからは、4月には中電が下関市の火力発電所(1号機・石炭、2号機・石油)を丸一鋼管(大阪市)に売却すると発表。6月には中間貯蔵施設を巡り、用地拡大のために地権者と話し合いを始めました。しかし、柳井市・光市・周防大島町・田布施町・平尾町など隣接の市町では不安を抱く所が多く、広島県に隣接し施設予定地からやや離れた場所にある岩国市長も、賛成とは言えないとしています。
 同年6月11日の上関町議会一般質問で西町長は、国も地元で説明することを明らかにしました。上関町が原発の誘致を表明したのが1982年、また長い月日が流れるのでしょうか。

核の塵すてれば原発雪起し
寒雷や中間施設が永久に
原発や貯蔵予定地も雪しまく
                              
              (2025年1月11日)

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