励ましと、お叱りと 広谷 鏡子

 加賀乙彦さんのことを、私は一方的に「恩人」と思ってきました。ほろ苦いエピソードをご紹介します。
 もう30年近くも前、私は大学時代に初めて書いた小説を改稿して、ある文芸誌の新人賞に応募し、どういうわけか最終選考に残りました。審査員の一人が加賀さんでした。その小説は「箸にも棒にもかからない」ものだったらしく、雑誌に載った審査員評は、ボロクソに貶すか、言及さえしないか、でしたが、加賀さんの批評はこうでした。
「凡作だが、この人は、書き続ければものになるかもしれないという気はする」。
 決して積極的に背中を押してくれた評とは言えませんが、それは私に大いなる希望を与えたのです。ただ漠然と自分探しをするばかりだった二十代の私に初めて「こうなりたい」という夢が生まれました。その言葉を信じて私は「書き続け」、十年後、他の文芸誌の新人賞を受賞できました。ものになっているかどうかはともかく、今も執筆を続けています。
 この会に入会して初めて参加した忘年会で、会長である加賀さんの姿を見つけました。ああ、やっと恩人にお礼が言える、と、上機嫌で飲んでおられた加賀さんに話しかけ、これまでのいきさつを述べて「先生のお陰で作家になれた」というようなことを興奮して口走ったと思います。すると加賀さんは怪訝な顔で問われたのです。「ところで君は僕の本を読んだことがあるの」。想定外の問いに私は言葉に詰まり、頭が真っ白になりました。加賀さんはそんな私に「本を読んだこともない人に対して、失礼じゃないの」と畳みかけました。そのままプイと横を向いてしまわれると思いきや、まだ私がその場にいてもいいような雰囲気のまま他の人と話されたり、私にも話を振ってくれたりしました。最後には『永遠の都』刊行の話もされたので「読みます!」と即答していました。直ちに購入し、単行本全7巻を貪るように読みました。その時になって、学生時代に『フランドルの冬』も『帰らざる夏』も読んでたじゃん」と思い出し、恩人を目の前にした悦びと緊張感とが、思考停止を招いたのだと悟りました。
 次の飲み会でお会いした時は覚えていてくださり、「え?『永遠の都』買ってくれたの?高かったでしょ?」とちょっと申し訳なさそうに言われて、茶目っ気のある笑顔を向けられました。その後、軽井沢で講演会があると聞いて参加の予定でいたところ、ご体調不良のため中止となりました。結局それきり、お目にかかることはかないませんでした。
 励まされた言葉もお叱りを受けた言葉も忘れることはないでしょう。もちろん私一人だけの恩人であるはずはなく、この会にとって、文学界、医学界にとっても、いえそれ以上に大きな存在でした。『永遠の都』の主人公・悠太をご本人に重ね合わせ、もう一度読み返してみたいと思います。
 心よりご冥福をお祈りします。

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