連載文士刮目 第36回 能登の復興を願う応援歌「能登の明かり」 伊神 権太

 ことしの元日早々に起きた能登半島地震。あの日から早や、4カ月がたちます。この間の被災者の悲しみ、苦しみ、無念さときたら想像を絶するに違いありません。ある日突然、人間社会を襲った自然災害。そして奪われた多くの命を思うとき、私自身かつて能登の七尾で新聞社の支局長として家族と7年を過ごした土地柄だけに、被災地の皆さま、ましてや友人、知人の顔を思い浮かべ、かける言葉もありません。どうしたら、かつてお世話になった能登の方々の心が少しでも安らぎ、かつ元気になってもらえるか。ふつうの日常生活を取り戻せるのか。私は震災発生後、そのことばかりを思い続けてきました。
 そんなわけで、大地震発生後、私は被災地を思い、毎日を過ごしてきましたが、ふと思いついたのが能登の人々に対する心からの応援歌を作る、ということでした。

 ということもあって、私は、このところ能登のみなさま一人ひとりの心を癒し、励まし、勇気づけ、かつ少しでも希望をもって元気になって頂ける応援歌【能登の明かり】の歌詞づくりに専念。幸い、歌をつくるに当たって強力な助っ人となってくれたのが、かつて私が能登の七尾に着任する前、名古屋社会部・小牧通信局長時代からの刎頚の友と言ってよい、ふるさと音楽家、詩人で作曲家でもある牧すすむさん(琴伝流大正琴弦洲会上席大師範・倉知進弦洲会主)、その人だったのです。私の「能登の人々を励ますことが出来るかどうか。詩を作ってみたので、これにふさわしい歌を作ってほしい」との突然の作曲要請に牧さんは「分かった。作ってみよう」のひとつ返事で作曲に取りかかってくれ、まもなく能登半島の復興応援ソング【能登の明かり】が誕生した、というわけです。
 そして。この誕生したばかりの応援歌【能登の明かり】は先日、愛知県小牧市の小牧駅前ラビオ5階あさひホールで~思い出を歌に乗せて~をテーマに開かれた琴伝流大正琴弦洲会の第四十回大会春の宴の席で初公開され、会場に詰めかけた観客みんなで能登の再生を願って歌ったのです。もちろん私も観客席で一緒に歌いましたが、歌いながら涙がとめどなくあふれてしまい、それはそれは感動的で忘れられないシーンとなり、会場全体が能登半島の再生を願う声、声、声一色に包まれたのも事実です。

 ところで「能登はやさしや 土までも」とよく言われます。この言葉にある〝やさしさ〟を私はかつて在勤中、いろんな場面で身をもって体験しました。そのひとつに新年早々から訪れる読者の皆さんの支局訪問でした。毎年、新年が開けると正月「幕の内」の間、一般市民の支局来訪は延々と続き、事務所一角にノートを置いて記帳のお願いまでしたものです。「お正月早々から。わざわざお越しいただいてありがとうございます」との当方の言葉に誰もが「なんも。なんも。当然やわいね。いい記事書いてもろうて。ホントにうれしゅうて。それで新年のあいさつを兼ねて来させて頂いただけやわいね」と皆がみな、記帳してくださるその姿には、そのつど熱いものがこみあげてきたのも事実です。

 能登では、ほかにめでたい時になると一緒になってエオエ~、エオエ~と両手を上下にこすり合わせながら共に唄う、あの〝七尾まだら〟も忘れられません。めでたい祝宴などの冒頭、みなこぞってエオエ~、エオエ~と、歌うもので、その七尾まだらは元はと言えば、めでたさをことほぐ船乗りたちの祝儀唄でもあるのです。
 珠洲の揚げ浜塩田に輪島の千枚田、能登島の水族館・ガラス工房、清張の小説「ゼロの焦点」の舞台・ヤセの断崖、さらには羽咋の千里浜海岸など。歌詞にでてこない名所はほかにも多々あります。でも、この応援歌【能登の明かり】が、阪神淡路大震災発生の時以降、ずっと歌われ続けてきた【しあわせ運べるように】同様、能登再生への起爆剤になれば―と願っています。読者の皆さまにも一緒に歌っていただければ幸いです。歌は私が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」画面のWORLD WINDOW(世界の窓)欄をクリックして頂けたら、聞くことが出来ます。
 熱砂アドレスは、次のとおり。
https://www.nessa.jp/

                                 (2024/5/3)

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