連載 原発の蔭と影 第24回 祝島の反対運動 天瀬 裕康

 前号(第23回)は、2003(平成15)年あたりまで述べましたが、本号ではこれにダブりながら、2005年以降を主体に話を続けてみましょう。
 電力会社による土地や人間の買収は原発小説にはよく出てきますが、お寺や神社の聖職者が反原発派であることも稀ではありません。上関原発でも少し以前から顔を出していた、中電に寄る神社地買い取りが進みます。
 2003年3月、神社本庁は四代正八幡宮しだいしょうはちまんぐうの林春彦宮司を解任し、翌04年10月には新任の宮成宮司と役員会が、四代正八幡宮の神社地を中電に売却しました。しかも07年3月には、林春彦が突然死しているのです。ここらはむしろ創作の素材にしたほうが適しているかもしれませんが、こうした怪事件が続くなか、中電の計画は進んで行くのでした。
 2005年4月13日、中電は原子炉設置許可申請に必要な詳細調査で建設予定地の、陸上でのボーリング調査を開始。同年6月24日、中電は陸上に続き、海上でのボーリング調査も開始しますが、反対派住民の海上抗議活動のため、当初は二年間の予定だったのが大幅に遅れることになります。

 この頃の原発を巡る動きには、不気味なものが感じられないでしょうか。
 チョルノービリ(ロシア読みではチェルノブイリ)の原発事故以来、気を付けて新聞を読むと、日本でも原発での事故は予想以上に多いのです。
 けれども中電は2008年6月17日、山口県に埋め立て免許を申請し、7月4日には海上でのボーリング調査を終り、8月25日には山口県に林地開発許可を申請するなど、原発実現への歩を進めていました。これに対して10月20日、祝島の漁業者78人が山口県に対し、埋め立て許可を出さないように提訴しています。
 同年10月22日、山口県が中電に公有水面、つまり海の埋め立て免許を交付します。11月4日には、漁業補償契約訴訟で反対派の祝島漁業者側の敗訴が確定し、12日には山口県が政府の要望で、上関原発関連を施策の中に初めて盛り込みます。13日には中電の調査により、上関原発予定地近くの海底で新たな断層を発見します。20日には祝島の漁民が、原発の補償金約5億円の受け取りを拒否しました。
 12月2日には、祝島漁民による埋め立て取り消し訴訟の初弁論が開かれます。「長島の自然を守る会」が、上関原発予定地周辺に生息する動植物6種と、同会会員、祝島島民、周辺住民が原告となり、「自然の権利」訴訟を起こします。4日には中電が陸上でのボーリング調査を終了。11日には上関原発予定地内の神社地訴訟の控訴審が始まりました。12日には7つの市民団体が、上関原発計画撤廃を求め、中電に申し入れています。24日には山口県が上関原発予定地の林地開発を許可し、中電は、断層の影響で詳細調査を1月まで延長すると発表しました。
 2009(平成21)年1月26日、中電は田ノ浦の再調査を開始し、上関原発に係わる詳細調査はほぼ終了したと述べています。
 中電は3月9日、3月中の原子炉設置許可申請は難しく、6月までは埋め立て工事に着手しないと発表、17日には県に上関原発予定地の保安林作業許可を申請し、27日には、上関原発2号機の着手と運転開始を二年ずつ遅らせると発表。虚偽の宮司退職願訴訟に関しては、山口地裁は原告の請求を棄却しました。
 4月6日、山口県は中電に対して上関原発予定地の保安林作業を許可し、8日には中電が陸上で準備工事(敷地造成工事)に着工、22日には五団体の呼びかけにより「上関原発中止を求める署名」が、100万人を目指して開始。5月18日は、原発建設予定地への反対派の監視小屋(団結小屋)建設の禁止を求め、中電が反対派住民を提訴します。
 6月16日、活断層の追加調査のため中電は埋め立て着工を7月から2ヵ月延期すると発表し、25日に「神社地訴訟」は広島高裁にて、入会いりあい権の審理差し戻しとなります。6月の間に、原発建設予定地・田ノ浦の山林伐採が本格的に始まりました。7月になると「神社地訴訟」で、反対派住民側と中電側の双方が、最高裁に上告受理を申し立てています。8月19日は「自然の権利訴訟」の初公判で、県はこれを棄却しました。
 9月3日には中電が「原発の影響は少ない」と、カンムリウミスズメの生息調査結果を発表。10日には中電が埋め立て工事に着手しようとしますが、埋め立て区域を示すためのブイ9基仮置きしている平生町・田名埠頭で反対派が阻止し、工事着手に至らなかったのです。
 10月2日「上関原発中止を求める署名」612613筆が国(経済産業省)へ提出されました。7日には中電が、島根原発から運んだ二基のブイを原発建設予定地の海に設置し、「埋め立て工事開始」と発表し、県はこれを受理しました。反対派住民の海上抗議活動で当初予定より遅れたのです。9日に中電は、田名埠頭で阻止活動を行った反対派39人に対し、山口地裁岩国支所に仮処分申請を提出。29日に中電は台船7隻を使い、残り7基のブイを原発建設予定地・田ノ浦海域に一気に設置したのです。11月4日、中電は田ノ浦にて埋め立て作業を開始しましたが、8日には田ノ浦で阻止活動中の反対派に初めて負傷者が出ました。
 12月6日には田ノ浦から中電の工事台船が撤退し、9日には上関原発・炉心建設予定地の250メートル先に監視小屋が完成し、監視小屋と祝島とでお祝いの餅まきが行われました。中電は15日に、反対派による妨害で敷地造成工事が遅れて損害が出たとして祝島の住民2人とシーカヤッカー2人を相手取って、山口地裁岩国支部に約4800万円の損害賠償を求める訴訟を起こしています。18日には、中電は上関原発建設計画において、原子力発電所1号機の原子炉設置許可申請を経済産業省に提出しました。
 今回はだらだらと関連事項を列記しましたので、少し退屈なさったでしょう。次回は少しピッチを上げてみます。

運動の本拠・田ノ浦

(2024年10月11日)

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