このシリーズの記述が中国電力の範囲に入ってから、まだ生まれていない山口県の上関原発の、賛否両派の争いに時間を取ってしまいましたが、現実に稼働してきた島根原子力発電所(以下、島根原発と略します。英語名は Simane Nuclear Power Station )にも触れておかねばならないでしょう。
中国電力が原子力発電のことを考え始めたのは、かなり早い時期からでした。『中国電力五十年史』によりますと、中国電力㈱の設立は1951年5月1日で、57年の2月18日には、調査室に原子力課が新設されています。これは61年に火力部に移管されます。66年には10月に島根半島に建設の意向だと公表し、11月には建設を島根県鹿島町に絞り、関係先に協力を要請します。翌67年2月には原子力推進部を設置、いよいよ本気になりだしたようです。68年7月には島根原子力発電所の準備工事に着工、69年の11月に島根原発原子炉設置の許可を得て、70年2月には島根原子力発電所建設本部を開設しました。
この間、反対がなかったわけではありませんが、「原発は明るい未来のエネルギー」式の原発安全神話が幅を利かせていた時代でしたから、準備は着々と進んでいきます。中国電力㈱の島根原発1号機は沸騰水型軽水炉で、東日本大震災の時事故をおこした東京電力福島第一原子力発電所の原子炉と同じ型式ですが、国内的に原子力発電所の設置状況を見ますと、関西電力の美浜発電所・東京電力の福島第一原子力発電所に続いて、3番目の原発でした。しかも島根の場合は日立製作所が全面的に受け持った、国産品の第1号でした。これが島根県(やつか)八束郡鹿島町片句において営業運転を始めたのは、1974年3月24日で、燃料は二酸化ウランです。
この頃になると反対の動きも目立つようになり、西尾獏氏の『反原発運動四十五年史』(緑風出版)によれば、78年の10月には電産中国(日本電気産業労働組合中国地方本部)の5県全支部が、最初の反原発ストをしています。また80年10月には、中国電力島根2号増設に係る環境影響評価説明会が、抗議で流会しました。
世は2号機の時代にさしかかって来たようですが、ここでチョッと余談を入れておきましょう。島根原発立地の鹿島町は島根県の県庁所在地である松江市のすぐ北隣で、その北に日本海が拡がっていますから、「日本で一番県庁所在地に近い原発」と言われたものですが、2005年3月31日に鹿島町が松江市と合併したので、「日本で初の都道府県庁所在地に立地する原発」と呼ばれるようになったのです。
さて2号機は反対運動に会いながらも、89(平成元)年2月10日には営業運転を開始しました。出雲神話の旅を予定される方で、島根原発にも寄ってみたいと思われる方なら、山陰本線の出雲市駅(いずもしえき)で降りると、出雲大社へのアクセスはいろいろあり、島根原発へも車で30分ほどです。私が島根原発を訪れたのはその年の8月で、中国電力宣伝用の島根原子力館が開館したのは前年(1988年)の3月でした。2号機の機密の部分まで見せてくれるとは思えなかったので、これを見るのが主目的でした。そのためJR松江駅で降り、車で30分の原子力館に行きます。ここは海抜150メートルの高さに在り、出雲の社をイメージして建てたものでしょう。どこも似たような宣伝パネル見た後で、原子力発電所の領域に行き、建屋横の排水口から出る水に手を当てると、異様に暖かかったのが記憶に残っています。
横道に逸れてしまいましたが、2号機は1号機と同じく沸騰水型軽水炉で日立製作所製、電気出力は1号機が46万kW に対し、2号機は82万kW です。3号機も2011年に燃料装荷予定でしたが、東電福島第一原発事故の影響を受けたのか、中止のままが続いています。
1号機は2015年4月に法的に廃炉され、17年の7月には、廃止措置作業に着手しました。21年9月には2号機が、新規制基準に基づく安全審査に合格。22年6月、島根県の丸山達也知事が2号機の再稼働に合意しました 。ここで島根原発の、これまでのトラベルをチェックしてみましょう。
1977年3月:1号機(以下、断り書きなきものは1号機)の制御棒に駆動水が戻り、ノズルにひびが生じました。81年6月:配管から蒸気漏洩。同年12月:制御棒躯動系の挿入・引き抜き配管の表面に傷が見つかっています。92年2月:中性子束異常信号のため原子炉が自動停止しています。
1995年Ⅰ月:2号機(以下、断り書きなきものは2号機)緊急停止排出水容器・水位異常高信号のため原子炉が自動停止。2004年3月:格納容器内の冷却機の凝縮水量と床ドレン 量が増加し、原子炉を手動で停止させました。10年4月:中電は経済産業省原子力安全・保安院と島根県、松江市に対し、島根原発1、2号機の総点検の結果につき報告書を提出しました。最近では22年5月:非社員が偽造した免許証で入構した事件がありました。
こうしたトラブルの後始末も大変でしょうが、島根原発の頭の痛い点には、原発施設・原発構内が県庁の所在地である松江市内に在る、ということです。このためもあるのでしょうか、事故が起こった時の避難訓練が多いような気がします。それも近接の自治体だけでなく、他県も巻き込んだものです本社のある広島市と密接な連絡を取りながらの訓練であることは当然としても、避難先として鳥取県・岡山県・広島県・山口県にルートを作っての避難訓練となると、容易なことではありません。それならいっそのこと、再生可能エネルギーに力を置き換えたら如何かと思うのですが……。
島根原発2号機の再稼働に関しては、22年5月に県議会が同意、6月に丸山島根県知事が同意しました。反対運動は続きましたが24年5月、林芳正官房長官は、島根原発2号機の運転差し止めの仮処分申し立てを退けた広島高裁松江支部の決定を支持し、原子力の活用を進める立場を改めて示しています。原発に反対する人々には逆風が続きそうです。
<さて、あと1~2回で、連載を終了したいと思っております>
(2025年2月13日)