2025年を迎えた。昨年は元旦から能登半島地震のニュースが流れ、日本中に衝撃が走った。今年は新年など来なくていいと思っているうちに、容赦なく時間は巡ってきた。さらに1年の2か月が過ぎようとしている。そして間もなく14回目の3.11が巡ってくる。
年が明けてほどなく、芥川賞と直木賞の発表を新聞で見た。自分には全く無縁の文学賞の世界、今年は全く何気なくだが、芥川賞受賞者の氏名と出身地、父の職業(牧師)を見たとき、なにか感じるものがあった。鈴木結生氏の名字がもしかしたら、あの方では、と思ったのだ。
2012年にバプテスト連盟(プロテスタントキリスト教の教派の一つの組織)主催の福島フィールドワークが、二泊三日に亘ってあった。2011年3月11日の東日本大震災に続いて東京電力福島第一原発の爆発事故があり、浜通りから、飯館村、福島、郡山辺りまでかなり放射線量が高かった方面を、希望者を募って視察した。参加者は40歳以上に限られていた。筆者は、年齢は当然問題なく、何よりも被災家族を抱えていたので、迷うことなく参加を決めた。
福島のホテルで、元福島県知事佐藤栄作氏、前飯館村村長菅野典雄氏、ご両人の講演を聞き、翌日は飯館村、長泥、南相馬方面をマイクロバスで巡った。浜通りに抜けるまで、線量計の針は人体に危険なほど上がり続けていた。3日目に郡山緑ヶ丘の仮設住宅を訪問し、ちょうど母の日も近かったことから、被災者の家族にカーネーションの花を届けた。郡山緑ヶ丘には富岡町の方が多く非難していたのだが、日中でもあり、留守宅が多かった。残念ではあったが、ささやかなお見舞いの気持ちを伝えたくて、カーネーションに短く言葉を書いたカードを添えて玄関のところに漏らさず置いた。
このときにお世話になったのが、当時の郡山コスモス通りキリスト教会鈴木牧人牧師だった。今年度芥川賞受賞者の鈴木結生氏の父上だった。14年前のあのとき、鈴木牧師ご一家は大変放射線量が高い郡山市に住んでおられた。2001年生まれの結城氏は10歳くらいだったことになる。
当然バプテスト連盟では鈴木牧師ご夫妻のお子様のことを考慮して、郡山からできるだけ遠くの教会へと移ってもらっている。
あのときのお子様が、成人して文学の道に進んでおられたことを知り、安堵したのだが、この先もずっと健康で生きていってほしいと祈らずにはいられない。
その後に郡山コスモス通り教会に着任されたのは年配の女性の牧師だった。が、彼女は数年後、癌に冒され、福島ではなく故郷宮崎で治療を受けたが、ついに帰らぬ人となった。後に、福島で癌の治療を受けると福島のみなさんに迷惑がかかるから、と話されていたと聞いた。その後の郡山ははたして安全なのだろうか。
浜通りから郡山や福島、会津などに避難していた人々は、長引く避難生活の果てに、避難場所に定着してしまった人々も多くいる。筆者の友人たちも何人もいる。彼らに、郡山は、福島は、会津は、放射能は大丈夫か、などととても聞けない。が、ときおり、思わぬ方向から情報は入る。
日本で三番目に広い面積を有する福島県、全県のいかほどが安全なのだろうか。部分的には除染され、立派な建物が建つ。しかし、3.11から14年近く経っても、放置された土地を雑草が覆いつくす。畑は原野になっている。
昨年8月、息子のお盆休みに合わせて帰省した。目的は生家と父の実家のお墓参りだったが、寄るところが何か所もあり、忙しい四日間だった。一日目に母校双葉高校や福島第一聖書バプテスト教会に立ち寄りかなりショックを受けたのだが、特に福島第一バプテスト教会は大熊町がすっかり消えてしまっていたために、建物の近くに行くまでには二日がかりだった。漸く探し当てた教会の敷地内に、柵をくぐって入り写真を撮っていたところで、パトロール中の警察官に職務質問されるという苦い経験もした。警察官としては職務に忠実なだけであっただろうが、痛くもない腹を探られた側に立ったら不愉快極まりない出来事だった。
気を取り直して、前から気になっていた大堀方面に向かった。大堀が避難指示解除になってまだ日は浅い。浪江町の国道六号線から山間部に向かって暫く行くと大堀相馬焼の窯元がいくつもあった大堀に辿り着く。最後に大堀を通ったのは、2010年10月、その頃住んでいた横浜の自宅から、一人車を飛ばして南相馬市の実家に帰ったときだった。実りの季節を迎えて、道の両側には黄金色の稲が波打っていた。あの風景を見ることは永遠にないかもしれない。
浪江町から大堀に向かって少し走ると、異様な光景が目に入ってきた。道路の両側に延々と続いていた田圃はソーラーパネルで埋まっていた。
日本の食料自給率は25パーセントと聞いたことがある。3.11以前までは、福島県浜通り地方に限っては100パーセントに近かったのではないかと思う。大堀も例外ではない。今では原発のある大熊、双葉、その周辺何十キロ辺りの食料自給率は0パーセントに限りなく近い、と数字に弱い筆者は簡単に計算した。このままでは福島だけではない、日本の食料事情が危うくなっていく日がそう遠くはない、とさえ思った。
南相馬氏小高区から会津に避難し、今は会津に移住した友人にショックを打ち明けると、彼は言った。「農業委員会でも、営農できなくなるから、ソーラーパネルは困ってるんだ。それでも仕方ないんだ。人がいないんだし、戻ってるのは年寄ばっかしなんだから」
彼の言う通りなのだ。避難先から地元に戻ったとしても、高齢者には農業は無理になってくる。生活のためには現金もいる。わずかな金額でも業者から提示されれば、放置して雑草を生やしておくよりは、と折れてしまう気持ちも理解できなくはない。
会津に永住を決めた友人がいうには、一町歩(9917.4平方メートル)で年間10万円とのこと。土地の賃貸料なのかどうか、聞いた話だから違うかもしれないが、大差はないのでは、と推測する。
ソーラーパネルは原発よりましといえるかどうか。弊害もある。自然破壊はもちろん、山間部では木を伐採して設置するので土砂災害も起きている。近年の集中豪雨はすさまじい。山から一気に土砂が流れてきたらと思うと恐ろしい。
テレビやオンラインのニュースなどでは福島の一部の復興が報じられている。福島の現実を知らなければ、福島はもうフクシマでなくなり、復興している、原発問題は解決済み、という印象も受ける。
福島のために痛みをもって関心を寄せる知人はいう。「今日の地上波のニュースやグーグル検索結果などの中で、福島第一原発事故の除去土壌……、の新年度2025年以降の取り組み方針についての報道がありました。率直な疑問として、残り2か月を切ってからの方針案の提示は……おざなりと申しますか、適当と申しますか、本気度が薄いと申しますか……普通、そのようなものなのでしょうか」
短い文章の中に、凝縮された感情が感じられた。補足しての質問があった。「次元の違う大問題でありますから、纏めるのに時間がかかったと、認識すべきなのでしょうか」
この問いに、だれもが納得する答えを出せる人はいるのだろうか。
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- 連載 故郷福島の復興に想う 第19回――復興か破壊か 谷本 多美子(アイキャッチ画像 無人になった大堀窯元)