人は必ず死ぬのだから いのちのバトンタッチがあるのです/死に臨んで先に往く人が 「ありがとう」と云えば 残る人が 「ありがとう」と応える そんなバトンタッチがあるのです/死から目をそむけている人は 見そこなうかもしれませんが 目と目で交わす一瞬の いのちのバトンタッチがあるのです(青木新門の「納棺夫日記」自選詩<いのちのバトンタッチ>より
先日、文庫本「納棺夫日記」を胸に、Facebookの「青木新門 念仏広場」でも知られた作家で詩人の今は亡き青木新門さんの富山であった【お別れの会】に行ってきました。お別れの会はピアノなど静かな音の調べとともに始まり、新門さんがこの世に残した数々の詩集や小説、童話、随筆集など蔵書が展示されたなか、思い思いに見て回る方法で進み、歩くほどに故人がこの世に残したものの偉大さに気付きもしたのです。
と同時に「伊神さん! とうとう書きあげました。かきましたよ」と半ば興奮して原稿用紙を手にしたまま新聞社の七尾支局に飛び込んできた、あの日の新門さんの目の輝きが目の前に大きく浮かび上がりもしたのです。そして。彼は私に向かって、こう言いました。「ボクは、死者を洗って納棺するという自らの仕事の体験を〝納棺夫日記〟として書きあげました。孤独死した老人も納棺させて頂いたが、全身に蛆虫が群がっていました。でも、必死に逃げようとする蛆虫たちがキラキラ光り、生死がひとつになってあらゆるものが光ってみえたのです。ぜひ、読んで頂きたい。何よりも感想を教えてほしい」と。
私はその日のうちに読破し「これは、すごい。人間が生きていくうえでも大切な内容です」と話したことを今でもしっかりと覚えている。その後、俳優の本木雅弘さんが富山の新門さん宅を訪れるなどして、この納棺夫日記が映画「おくりびと」=日本映画史上初となる米アカデミー賞外国語映画賞を受賞=として開花したことは皆さんも、よくご存知かと思います。その後の納棺夫日記の反響は絶大で、多くの人々がこの本を読み続けていることは知る人ぞ知る、と言っても過言でないでしょう。
私は献花台を前に「新門さん」と呼びかけ「かつてわが家を訪れてくださった時には志摩の海女さん直伝で妻がつくった〝手こねずし〟をウマい、ウマいよと食べて下さいましたよね。あのときの妻の喜びようときたら半端じゃなかった。ありがとうございました」と両手を合わせたのです。
ところで私ですが。昨秋、その妻を亡くし喪失と傷心、落胆の日々を過ごしてきました。ですが、新門さんのご遺族には、どうしても直接お会いして、お礼を言っておきたかった。そんな気持ちで富山に足を運んだのです。新門さんには、ほかにも私がかつて新聞記者として能登半島に在任中、全国の詩人が集って実現した当時、放浪の詩人として知られた故長谷川龍生さん(前大阪文学学校校長)ら提唱による能登島パフォーマンス開催に当たっての応援協力などあのときの情熱は忘れられません。お別れの会の会場入り口で長男新太郎さんがありし日の父親そのものの表情で丁寧にあいさつしてくださったのにも感激したのです。
もちろんわが妻伊神舞子の一周忌にあわせ出版にこぎつけた一冊の本【泣かんとこ 伊神舞子俳句短歌遺稿集(人間社刊)】もご遺族にお贈りし、生前お世話になった御礼とさせていただきました。いまごろ、二人は手こねずしを前に天国でどんな話をしているか。生と死がひとつになって、あらゆるものが光ってみえる。妻は、あの新門さんに生死一如(しょうじいちにょ)を教えてもらっているに違いない。そういえば、文学に励むふたりは、どこか似たところがありました。合掌(2022/11/01)
※青木新門(あおき・しんもん、本名青木幸男=あおき・ゆきお)さんは、ことし8月6日朝、家族が見守るなか、肺がんのため息を引き取った。85歳だった。