報告 たどり着いた街で~東日本大震災追悼式 野武 由佳璃

三日月や眉描き終えて桜花
おもかげや浦の小面こおもて春めきぬ


 

 2024年3月11日(月)に晴れ渡る空の下東日本大震災の追悼式が埼玉県上尾市の龍山院で行われた。
 参列者は約30名ほど、「脱原発社会を目指す文学者の会」より詩人の森川雅美氏と野武由佳璃で参加した。
 花々が咲き誇る春の埼玉に住む避難者の方の哀しみをわずかだが共有することができた気がする。
 今年は福玉便りを編集している原田竣氏と吉田千亜氏の二人が話をした。
福玉便りの意味は福島の福と埼玉の玉を合わせて福玉、思いやりと協力を感じるネーミングだ。
 原田氏は立教大学コミュニティ福祉学部准教授である。
 今年はかなりコロナ禍は終結したものの行き届いたコミュニケーションがとれず避難者の方一人一人の暮らしに即したケアが上手くいかない悩みがある。しかし、これからも引き続き福島の方に寄り添いながら「福玉便り」を編集し伝えてゆきたいと力強く話してくれた。
 吉田千亜氏は”孤塁”の作者であ「脱原文学大賞」の受賞者である。
 この日初めてお会いした。
 受付のテーブルに本を並べている時、文庫本の『孤塁』があるのに気づいた。それであらためて脱原発社会を目指す文学者の会のものですと名乗ると、
「わぁ、そうなんですか、ありがとうございます」 
 にこにこして頭を下げてくれた。
 『原発事故,ひとりひとりの記憶』(岩波ジュニア新書)という新刊書も吉田さんの作品である。
 原発事故後の人々をきめ細やかに見つめる眼差しがある。
 甲状腺がんにかかる子供の話やその後の双葉町消防士さんの話題が綴られる。なかなか興味深い本でもある。
 一人一人のお話しを伺いながら被災者の今、現実の厳しい部分や生活を取材し伝えることを心がけていると語る。
 さらに今年も元旦に能登の大地震があり、地震、津波による被害は決して他人事ではない。
 今後ともに被災した方々の未来を見つめながら福玉便りを読者に届けたい。
 きっぱりした態度で話してくれた。
「この後も福島取材に出かけます」
 笑顔が爽やかであった。


 この後わたしは追悼朗読で”神結びのうた” を朗読。そのあと”桜塩のうた”を梅澤君枝氏のピアノ伴奏モーツァルトのレクイエムで。
 静かだけれど垂直に深く深く大地に展がるものを感じた。 
 伴奏者は低音を意識し、ふわりと空へ舞い上がるような心地がしたと後で感想をもらった。限りなく上質な演奏であった。
 参列の方々はそっと目を伏せ聴いていた。
 自作の詩”神結びのうた”を紹介する。

この空を この海を
渡れる風になるよりも
命かけてたどり着く
言葉よ森へ 冴えわたれ
冬が落とした涙
冷たく冷えた足に
君の見た海を 今はたどるばかり
恋人よ このままで
今を生きるしか出来ないと

軽き夢など 柔らかき
その唇よ 懐かしき
春がまた訪れる
苦しみは花と散る
そよ吹けよ 風はるか
いまは夜を ゆかん

この命 この想い
伝えるすべをもたぬより
熱き想い 語れ君
人の命のはかなさを
春がこぼした涙
桜散りゆく哀しみ
塵芥 世の常と
今はながされるまいと

恋人よ このままで
そのぬくもりを 忘れまじ
そよ吹けよ風 この問いに
空の青さをしらしめよ

たとえ一瞬としても
言葉よ 血を流せ
人の世をすみずみに
こけつまろびつ 行き渡れ
夜が与えたこの時を
絶え間なく降り注ぐ
もう一度 生きるなら
伝えよその炎止めよ

この身体 砕け散り
月のかけらかその刃
生きとし生ける影となる
あまねく照らせ 人々を

その教えそのままに
流れよ 音よ 風光
ごうごうと山に降る
雨のことわりを 知る
この地を巡る 命ゆえ
人々がまた帰る時
無くした心 探しつつ
帰らぬ君と めぐり会う

それでもひとは生きてゆく
さよならを繰り返す
再び会えるその日を
強く信じてやまない

人ことわりを知りながら
永遠に続くもの求めつつ
生きよ皆々哀しみを
その美しき真珠(たま)にして
 
 今は遠くなってしまった故郷の野山。
 忘れえぬ大切な人々。
 空へ向かい伸びる木々。
 手を伸ばせばそこにあった住み慣れた故郷。 なかなか思い通りにいかない暮らし。
 波の音を忘れて暮らす避難者の日常生活。そのまま壊れてしまいそうな不安な心にそっと触れた。
 気づくと朗読の最後はなぜか涙が止まらなかった。
 火を二つ頭に載せた鳥の鶯のように地震と津波にさやぐ国の日本。
 住み慣れた土地を離れて暮らす不自由さ。誰もがため息をつく。


 森川雅美氏は、黙祷の後に即興朗読をした。

「あの時は仕方なかったのです」
「あの時は仕方なかったのです」
「ゆっくりと光が弾けるなかから歩いてゆく」
「ゆっくりと光が弾ける中から歩いてゆく」

 淡々と叫ぶ様に語られる詩のラストは。

「電源喪失!」 
「電源喪失!」

 きっぱりと言い切った。
 あの日激しい地震があり、原子炉は電源を喪失した。
 空を見上げながら語られるその詩は心に響く。そして大地に染み渡る。
 我々が歩んできた道は未来を作るはずのものであった。
 原子力という名の開発は人類の未来を約束するものだろうか。
 そんな問いかけを感じた朗読だった。

 今年2月シラコバト団地に住む避難者で一人暮らしのお年寄りがひっそり亡くなった。数日間だれも気づかなかったという。
 そのためシラコバト団地の住人は皆悲しい思いをした。
 この団地内の避難者は9世帯11名となった。 
 龍山院の鐘が鳴る。14時46分皆俯いて合掌する。 
 たくさんの方々が経験した哀しみが空へと解き放たれる。
 嵐を行き来する小さな白い鳩よ。 
 風に流され,羽を傷つけそれでも未来を模索する。
 どうか災害のない安心な大地に住むことができます様に。
 追悼式の後今年も可憐な河津桜を参列者の方々と見学にいった。
 青空と暖かな春風がのどかである。
 ひまわりの会会長橘光顕氏がポツリと寂しそうに語った。
「来年はどうも年収の関係でシラコバト団地に住めないかもしれない」
 シラコバト団地は公営のため本来は厳正な抽選の元に入居するシステムである。
 団地に住う小さな福島のコミュニティは毎年確実に変化している。
 今日の追悼には参列者の方から、美しく繊細な絵手紙をいただき寺に飾ってもらった。
 古流の家元の方は満開の桜を生けてくださった。帰りぎわに参列者全員に桜の花束のプレゼントがあった。
 何一つ変わりない毎年の追悼式。
 優しい心遣いがある。
 シンガーソングライターの橘光顕氏は自身のアルバム”たどり着いた街で”のCDを現在発売している。受付に置き販売した。歌詞カードの横に埼玉のギター教室のかたやコーラス,演奏で協力してくださった友人の名前と避難当時の状況の書きこみがある。
 避難の話は難解だ。
 話すと暗くなってしまう。
 彼は時々お話会などを開いてはギターの弾き語りをしているという。
 当時の大変さは筆舌に尽くし難い。 
 上尾のシラコバト団地に入居してすぐはエアコンがなかった。だいぶ申請して設置できるよう働きかけたそうだ。
「津波で避難する時後ろに波は来ていたの?」
「来てないよ。だってもし来ていたら、僕は君に永遠に会ってないよ。」
なるほど、たしかに。
 当時乗っていた自家用車もバス移動で避難の際に乗り捨てた。その後一年以上たってから廃車にしたという。
 フクシマの被災は計り知れないものだ。けれど少しづつ花開く桜のように話す自分なりに表現することで硬くなった氷山の心が溶けてゆくのでははないか。
 辛かったこと,悲しかったこと、おもいきり涙を流すこと、いつかきっと。
 いつかきっとこの大地の傷と人々の心が癒やされるまで。

放哉の放るボールや月朧つきおぼろ

(つきおぼろ)

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