連載 原発の蔭と影第10回 シリアでゲンが 天瀬裕康

 去る8月4日から6日の3日間、広島市中区袋町の小さなギャラリーにおいて、原子炉が爆撃され、内戦と大地震で苦しむシリア北西部で活躍してきた「希望の筆(リーシャト・アマル)」という男女4人のアーティスト・グループが、倒壊した瓦礫に「はだしのゲン」を描いている、パネル展が開かれました。
 主催したのは在日シリア人ジャーナリストのナジーブ・エルカシュ氏(49歳)。東京都内でテレビ制作会社を営み、2011年3月11日の東日本大震災・東電福島第一原発事故発生のあとは、被災地で震災の取材を続けてきました。今年2月にシリア・トルコ地震が起きてからは、NPO法人「チームふくしま」の災害支援募金活動の現地との窓口を務めました。前回ご紹介したあの「チームふくしま」とも繋がっている人だったのですが、漫画『はだしのゲン』を読んだことのない人がおられるかもしれませんので、作者と作品につき簡単に述べておきましょう。

 作者の中沢啓治は1939年3月、広島市舟入本町(現・中区舟入本町)に生まれました。戦時中に父親は思想上の問題で特別高等警察に拷問されましたが、家の者には「ふまれても強くのびる麦になれ」と言っていました。姉も万引きの疑いで裸にされるなど、ひどい仕打ちを受けております。45年8月6日には原爆で一挙に父・姉・弟を失いました。臨月だった母親は6日に女の子を出産します。終戦後、二人の兄は帰ってきますが、母も赤ん坊も長くは生きられませんでした。母親を焼いたら、骨がなくなっていたそうです。原爆死の特殊性ですが、こうして啓治少年は苦難に満ちた少年時代を生きていきます。
 これが漫画「はだしのゲン」として『少年ジャンプ』(集英社)に現われるのは1973年。
 1年半連載された後、『市民』、『文化評論』、『教育評論』などに連載されますが、今年は「ゲン」登場から50年の節目。この間、多くの出版社から全集が出ておりますが、主として汐文社コミック版の『はだしのゲン』全10巻を参考にして粗筋を記します――
 主人公の中岡元(ゲン)は、国民学校(現・小学校)2年生。長兄・浩二は予科練(海軍飛行予科練習生)に入っており、次兄の昭は集団疎開で山間部へ行っております。家にいるのは父・大吉、母・君江、姉・英子、弟・進次しんじと元の五人。兄弟仲のよい平和な家庭の、8月5日の夜が描かれています。悲劇の前夜です。
 6日の朝、米軍が投下した原爆により、父姉弟の三人が一挙に死亡。ゲンは爆風で倒れ失神、死体と間違えられ焼却場へ運ばれますが、意識が戻り助かります。臨月だった母親の君江は女の子を出産、友子と名付けられます。ゲンたちは君江の知人宅に身を寄せますが、その家族は被爆者を差別します。ゲンは髪の毛が抜けて丸坊主、道で拾った帽子で隠しますが、弟によく似た原爆孤児・隆太と知り合い、防空壕の跡の洞穴で一緒に暮らします。
 15日に終戦となり、浩二と昭が広島へ帰ってきました。そこでバラックを建てて6人で住むのですが、友子が誘拐されます。ゲンにとって友子は希望であり癒しでした。連れ去った人は、原爆で死んだ我が子の代わりに友子を生きる支えにしていました。ここらにも原爆の悲惨さが漂いますが、友子は長くは生きられませんでした。
 焼け跡に麦が芽吹くと、母・君江は夫・大吉が言っていた「ふまれても強くのびる麦になれ」という言葉を子どもたちに伝えます。しかし彼女にも原爆症があり、その治療費を得るため浩二は福岡県の炭鉱へ行きますが、稼いだ金で酒びたしになり、仕送りができません。ゲンはお経を唱えるアルバイトなどで金を稼ぎますが、結局、母・君江は死にました。
 この間、隆太を狂言回しにして暗黒街とのトラブルもありますが、中心にあるのは少年同士の絆でしょう。ゲンには笑った顔が多いのは意外な感じです。
 1953年に中学校を卒業したゲンは、髪を長くのばすようになります。事件・イベントは多々起こってきますが、やがて東京へ移住することになります(これは未完成)。

 以上が漫画の粗筋ですが、漫画を原作として実写映画、アニメ映画、テレビドラマなども作られました。漫画は評判がよくて汐文社版の他、ほるぷ版全10巻、中公文庫コミック版全7巻、金の星社の完全版全7巻などが刊行されています。国内だけでなく、海外24ヵ国で翻訳・出版され、累計発行部数1000万を突破という超販売になりましたが、その原因は何でしょうか。冒頭で述べたシリアの例では、《原爆で肉親の多くを失いながらも健気に生き抜くゲンの姿が、シリアの被災者を元気づけている》というものでした。
 しかし残念ながら日本の一部では、これとは逆の現象が起こっているのです。2012年に、松江市教育委員会は学生に対し、図書館での閲覧を制限しました。今年、2023年に広島市は平和教材から『はだしのゲン』を外しました。残酷過ぎるというのですが、残酷すぎる事実があったからこそ、描いて伝えねばならないのです。
 その背後に、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを忘れさせようとの魂胆がちらつきます。《ヒロシマ・ナガサキは綺麗に復興しているし、フクシマには危険なものなど何もない……原発は再稼働し、原爆も持ちましょう》と言いたげですね。
 だからこそ反戦反核の声を上げることが必要なのです。

  葭切よしきりや「ゲン」登場し五十年
  アニメ「ゲン」シリア被災者を鼓舞したり
  現況を知らす「希望の筆」パネル展               

(2023.8.10.)

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