連載文士刮目 第33回 のとよ、能登半島 晴れたらいいね 伊神 権太

 新年早々に起きた能登半島地震に、昨年明るみに出た自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金問題のその後。悲しくてたまらない巨大地震発生に嘆かわしい限りの政界不祥事の露呈。このところの世相には、なんだか気が滅入り、心までが折れそうになってしまいます。このうち本欄で指摘済みである政治家諸氏の裏金事件。この不祥事は真相が暴かれるに従い、政治家の〝体たらく〟を目の前にさらけ出し、それこそ開いた口が塞がりませんね。
 というわけで、政界は自民党の安倍派(清和政策研究会)と二階派(志帥会)が派閥の解散を決めたのに続き、岸田文雄首相自らが属す伝統の岸田派(宏池会)も解散を決定。日本の政界は暗たんとしています。政界が、このお粗末さでは国民の心までが荒れてしまう。そんな気がするのです。そして。新年早々、元日に輪島市の東北東30㌔、深さ16㌔地点を震源に起きたマグニチュード7・6、最大震度7の能登半島地震。ふるさとの市や町が壊れ、多くの人々が家を、家族を、友人を失いました。なんと悲しいことなのでしょう。
 地割れと陥没、地盤の液状化、停電と断水、余震の多発、融雪装置の破損などが続くなか、避難所生活が続き、住み慣れた集落はバラバラに引き裂かれ、2次避難も含め今後どうして生きていったらよいのか。思案にくれる能登の人たちを思うにつけ、胸が痛みます。

 私自身、能登には新聞社の七尾支局長として昭和61年8月から7年間、家族とともに住み、平成5年2月7日に起きた能登半島沖地震を体験。あちこち陥没した雪道をやっとのことで半島突端の珠洲まで辿り着き、至るところ液状化現象などでヒビ割れたなか、珠洲通信部近くに臨時の取材基地を設営。1週間にわたり現地キャップとして取材の指揮を取ったことがあるだけに、今回のあの時を大きく上回る大地震は他人ごとではいられず、今は祈る思いでその後の復興を見守っているのが現状です。
 ところで、能登の人々の気質を表す言葉に【能登はやさしや、土までも】があります。私たち家族は、その能登の人たちの数え知れないほどのやさしさに包まれ、日々の生活を過ごしました。それだけに、今回の震災には胸が塞がる思いで実際、輪島の朝市通りの焼失をはじめ、ラジオやテレビから連日、繰り返し流れる断水に停電、孤立集落、災害関連死の増加、中学生の集団移転、2次避難所の開設、避難所でのコロナ・インフルエンザの感染…といったニュースには目をそむけたくさえなります。

 ここに一冊の本があります。私が能登半島在任時に、半島に点在する第一線の半島記者たち全員に号令をかけ、能登版で連載した能登の人びとの生きる姿を一冊にまとめ出版に至った「能登人間ものがたり」(北陸中日新聞七尾支局企画編集)です。そこには317回にわたって能登に生きる人びとの人間群像がペンと写真で描き出され、あとがきには【「過疎と厳しい自然。能登の人たちは、逆境をはねのけ、きょうも「明日(あした)」を信じ、生き抜いています。今回、一冊の本に紹介された人たちとて、ホンの氷山の一角。現実にはもっともっと人知れぬドラマが存在しているのも確かでしょう。】と書かれています。
 私は今、地震災害という苦難の中で生きる能登半島の人びとのことをあらためて思い、一人ひとりにエールをおくりたい。冬が来て雪が毎日のように降り続いていた能登半島七尾市で雪かきをしながら、いつも空と私に向かって話しかけていた亡き妻(たつ江、舞子)の言葉【晴れたらいいね】と。そして、もうひとつ。春になると決まって出かけた門前の、あの泣き砂の浜で見た彼女が大好きだった美しい花、雪割草のことを思い出します。能登のみなさん。大変ですけれど、負けないで。生き抜いてください(2024/2/2)

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