文士刮目第19回 コロナ禍のなかの文芸復興

 

 新型コロナウイルスの感染拡大の繰り返し。現在は第8波に入った、と伝えられています。そんな中、私は先日大阪文学学校を訪れました。以下は私が【書く・読む・聴く 関西から日本へ広がる文学魂 大阪文学学校】のタイトルで文芸思潮第85号に書いた一節です。
―ウイズコロナの時代にあって、元あった日常が非日常に、そしてその非日常が日常になってしまっている。マスク姿の常態化、なりやまぬ救急出動、在宅診療、果ては医療の逼迫、死者の続発など。百年前に流行したペスト以来の人類の危機かもしれない。こう言う危機の中でこそ、自分を見つめ、自分の人生を振り返って意味を求め、刻印を残す文学の意義が浮かび上がってくる。/夜明けの到来と予感を胸に、いままさに大きく生まれ変わろうとしている一つの大きな底辺からの文芸の時代の到来を感じつつ、大阪文学学校を後にした。

 実際、こうした不幸な時代にあって文学の存在が重要度を高め、勢いを増してきていることは、このところの活発な同人誌活動からも明らかで、近ごろはそんなことを思うのです。事実、その証拠に私のもとには、きょうも同人誌仲間からの同人誌がこれでもか、と送られてきています。最近では、じゅん文学№110をはじめ、文芸中部121、北斗最新号、海105号、弦第111号、果樹園最新号などが「コロナ禍でも元気にやっていますよ」といった具合に次々と届いています。文学のこうした息吹は昨年、一昨年と全国同人雑誌会議が開かれた東京をはじめ先日訪れた関西、さらには私が住む中部地方でも同じように高まりつつあるのです。いまやコロナ禍の時代にあって文学のルネッサンス、文芸復興の波が押し寄せようとしている。私はこうした各地から押し寄せる文学のうねりをただ黙って見過ごしているわけにはいかない。そう思うのです。この歩みは私たちが進める脱原発文学とて同じかと思います。脱原発社会をめざす文学は詩も、小説も永遠不滅なのです。

 先日、私は全国同人雑誌協会の代表五十嵐勉さん(文芸思潮編集長)と共に神戸市のラッセホールに出向きました。ここで第16回神戸エルマール文学賞授賞式に併せての文藝講演会「同人誌の現在と未来」が行われたからです。各氏(地元同人誌代表4氏が出席)が自ら属す同人誌の現況について話す内容は、どれも迫力があり私は耳を傾けつつ同人誌とはこうあるべきだ、と痛感しもしました。
 具体的には「例会のあとは必ず二次会で作品を掘り下げ、結局5~6時間話し合う」(同人誌「カム」田中一葉さん)「いつのまにか36年。完全原稿につとめています」(「飢餓祭」夏当紀子さん)「コロナのおかげでズーム、リモートでやれるようになった」(「星座盤」清水園子さん)「文学学校を中心とした会員で年に2回発行。言いあいながら書けるのが魅力です」(「たまゆら」中川一之さん)といった具合で、どれも中身の濃い内容ばかりでした。

 夜はあの阪神大震災で我をも忘れて現場に急行した時いらい、電飾の別世界に変わっていた神戸で大阪文学学校の生き字引でもある小原政幸事務局長、五十嵐代表と共に食事をしながら文学談議でいっときを過ごしましたが、小原さんの「今は感動するほどいろんな人々が〝文校〟に入ってくるのですよ。そして、その人たちが同人誌のリーダーとしても文学の翼を広めてくれています」といった言葉が忘れられない。と同時に「このコロナ禍のなかでこそ豊饒な文学が新たに紡がれている可能性に、私は大いに期待している」とのあの細見和之大阪文学学校校長の重いことばを思い出したのです。

 ごんっ、と右手に振動が来た。/で始まる田中さるまるさんの第16回神戸エルマール文学賞本賞「人はいない」(「ココドコ」2号)を読み終えた私は、花も嵐も乗り越えてさあ、一歩も二歩も前に進んでいこう。全国の同人誌仲間よ! と。そう叫んだのです。(2022/12/01)

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