(マスクを)外す。外さない。卒業式ぐらいは素顔で。外すかどうか、は自己判断で。
新型コロナウイルスの感染拡大第8波が収束に向かいつつある中、春の卒業、入学、就職シーズンに入り、誰もがマスクをどうするかで、心を痛めている。だれがこんな時代にしてしまったのか。そんなことを頭に私はさる2月23日、天瀬裕康さんの著作「被爆作家が描き告げる 林京子の反核世界」(渓水社)をバッグにしのばせ、横浜へ。久しぶりに乗る名鉄も新幹線も、市営横浜地下鉄線の車内も、見る限り、乗客の全員がマスク姿で、これではまるで特攻隊のような違和感です。それも一様に目に見えない何かに突き動かされているかの如くに、でした。
そんな中、ただひとり、マスクをはずして車内を見回してみる私。ふと、見えない顔とはなんておそろしいものか、と思いつつ新横浜から桜木町駅までの車内をマスクなしでとおしてみました。そこにはコロナ禍に直撃され、ダメージを受けた「非日常」社会が本当に「日常」になってしまった、いびつな人間社会があったのです。そんなわけで私は私。だから、と思いつつ自身が異端児なのかと思ったのも事実でした。
マスクひとつでさえ、ギスギスした社会だというのに。なぜなのか。近ごろ、とても気になる乱暴な言葉が常態化しつつあります。それは、新型コロナウイルスの感染流行とともに、この世に現れ出たテレワークとかオンライン授業、テイクアウトといった類の言葉ではありません。ロシアのウクライナ侵攻が始まって2月24日には丸1年がたちましたが、ナンダカ時を合わせるように物騒極まる言葉が、このところ、この国で氾濫し始めたのです。それは何か。
すなわち、いつ世界戦争が勃発しても不思議ではない国際情勢の緊迫化のなかにあって平和国家・日本政府が有事に備えての防衛費増額に伴う【反撃能力】という、これまでの日本人には思いもつかない、荒らっぽい言葉を使い始めた、ということ。そして、そればかりか、政府は東電福島第一原発事故後、これまで原発の新増設と建て替えは想定していないとの姿勢を貫いてきたはずの原発利用と建設を脱炭素化社会への移行を理由に長期的に活用する方向にギアチェンジ。これまでの【原則40年、最長60年】との現行ルールが、いつのまにか安全性さえ確認されれば【原発の延長どこまでも】に原発使用の方針そのものが大きく変更されたーという点です。コロナ禍前には、とても信じられなかった言葉が次々と公然と言い放たれ、現実の恐怖となって迫ってきたのも確かです。それこそ私たち日本国民にとっての【有事】なのです。
こんな中、2月24日のロシアのウクライナ侵攻1年を翌日に控えた23日には「林京子さんの人と文学を語る会」主催、日本ペンクラブ、日本文藝家協会、脱原発社会をめざす文学者の会などの後援による講演とシンポジウム【ウクライナの核危機 林京子を読む】が県立神奈川近代文学館で開かれました。第1部講演「林京子が言い残したこと」(講師青来有一さん)第2部シンポジウム「いま文学者として何ができるか(登壇者は川村湊、青来有一、宮内勝典、村上政彦、森詠の5氏)」の順で進みましたが充実した内容となりました。
このうち第2部では登壇者による白熱した議論が展開されました。「文学に出来ることは何か。ウクライナ文学をぜひ、読んでほしい。戦場のリアリズムとは何なのか」(村上氏)「今の原子力政策を許してはいけない。日本のメディアは何をしているのだ」(川村氏)「各国ともウクライナを応援しているが、あのツケはどうなるのか。ウクライナが民主国家でこのままいけるのか。ロシアと拮抗するような国をつくってしまうのではないか。非情に怖い」(森氏)「核の問題を、もっと真剣にやらなきゃイカン。核の平和利用。文学こそが、平和を保つ漢方薬にならなければ」(宮内氏)「文学が、平和への漢方薬。とても、いい発言です。私もそうあるべきだと思う」(青来氏)など。
満席の会場では熱心にメモをとる人の姿が目立ち、今の時代に対する危機意識がいかに大きいか、を実感し名古屋に帰った次第である。