連載 原発の蔭と影第22回 上関原発と反対運動 天瀬 裕康 2024.08.16 連載 前回ちょっと触れたところですが、上関町の町議会で初めて原発の話が出たのは1982年6月のことです。このあと、10月には中電側が「上関が有力」と発言し、さっそく11月には祝島の反原発運動組織「愛郷一心会」が組織されます。推進派は少しもたついていましたが、12月には「上関町の発展を考える会」が正式に
連載 原発の蔭と影第21回 上関原発への初動 天瀬 裕康 2024.07.18 天瀬裕康「原発の影と陰」 前回は1989年2月に、島根原発2号機が営業運転を始めたところまでお話しました。これは日本で36番目、平成時代になってから営業運転を始めた最初の原発だったのです。1・2号機を合わせた出力は128万kWになり、発電電力量における原子力発電比率は、約20%になったのですが、中国電力はまだ欲を出して、
連載 原発の蔭と影第20回 島根2号機の誕生 天瀬 裕康 2024.06.20 連載 遅まきながら米画「オッペンハイマー」(35㎜フィルム版)を観ました。原爆の父と呼ばれ、のちには水爆に反対したためソ連との内通を疑われ、失脚したロバート・オッペンハイマーを主役にした映画ですが、家族から見れば不満があったようですし、ヒロシマからいえば廃墟も被爆者も出てこないという不満がありますが、
連載 原発の蔭と影第19回 中電、原発設置へ 天瀬 裕康 2024.05.16 連載 1951(昭和26)年51日に設立された中国電力㈱(以下、中国電と略す)は、他の電力会社の動向や政府の意向に沿って、原発設置の方針を固めます。 場所は島根県八束(やつか)郡鹿島(かしま)町片句(かたく)654番地―1――島根県の県庁所在地である松江市の北隣の、一畑薬師も遠くない、日本海に面した由
連載 原発の蔭と影第18回 中国電力出発 天瀬 裕康 2024.04.18 連載 また余談が入ってすみません。東京電力は柏崎刈羽原発7号機(新潟県)の再稼働に向けて準備を進めていますが、「4月15日から核燃料の装填を始める」と、原子力規制委員会に申請したそうです。福島第一原発の事故以後に再稼働した全国の原発はみな、地元の同意を得てから燃料を装填していますし、年内の再稼働を目指
連載 原発の蔭と影第17回 電力の官営・軍営を経て 天瀬 裕康 2024.03.14 連載 これまでに述べてきたように明治から大正にかけて、日本各地で電力会社の設立が相次いで起こりましたが、関東大震災を契機として電力会社の統合がすすみ、五大電力と呼ばれた東京電灯、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力の5社に収斂していきました。 しかし前回も触れたように、1939年の国家総動員法によ
連載 原発の蔭と影第16回 電車の発展と発電所 天瀬 裕康 2024.02.15 連載 能登半島地震に際し、やはり志賀原発は問題がいろいろ出てきつつありますが、他日、改めて検討することにして、広島地方の電気・電力事情を調べさせて頂きましょう。 文明開化の明治時代に、明るさと便利さの点でガス灯に勝った電気ですが、乗り物の動力としても実力を発揮するようになります。エレベーターや
連載 原発の蔭と影第15回 明るさと熱と動力源(中国電力序章) 天瀬 裕康 2024.01.18 連載 まず歳旦のご挨拶から申し上げるところですが、今年は元日の午後4時10分頃から石川県の能登半島の先端にある輪島市の東北東30キロ、深さは暫定値で16キロあたりを震源とし、震度7で規模はマグニチュード7・6と推定される大型地震が発生し、現在も死者が増えつつありますので、お祝いの言葉は遠慮させて頂きま
連載 原発の蔭と影第14回 福島県の避難者支援体制 天瀬 裕康 2023.12.14 連載 ひろしま避難者の会「アスチカ」からの郵便物の発送元には<福島県外避難者生活再建支援拠点 島根県・広島県・山口県担当>と印刷してあります。そして2021年に発行された『広島に避難してきた私たち』には、福島県県外避難者帰還・生活再建支援補助金を受けて発行した、と記してあります。ここに述べようとしている
連載 原発の蔭と影第13回 九州電力と川内原発 天瀬 裕康 2023.11.16 連載 前回は玄海原発を主体のお話でしたが、長さの関系で電力の鬼・松永安左エ門(やすざえもん)(正式には安左衛門)のことは割愛しました。そこで今回は電力事業の発展と彼のことから始め、川内(せんだい)原発関連事項へと話を進めてまいりましょう。 松永安左エ門(1875~1971)は長崎県壱岐の裕福な