連載 原発の蔭と影第12回 九州電力と玄海原発 天瀬 裕康

 しばらく休んでいた電力会社と原発の話に戻しましょう。 北海道から始め中部電力まで下がってきましたが、関西電力は3回ほど書きましたので四国を予定したところ、これも「会員の原稿」として「瀬戸内海を死の海にするな! 伊方原発の場合」を書いておりました。広島の中国電力は少し詳しく書きたいので後に回し、九州へ飛んでみましょう。

 九州電力株式会社(略称は九電)英文名 Kyushu Electric Power Company,Incorporated は、福岡市中央区渡辺通に本拠を置く電気事業の大会社です。九州における電気事業の嚆矢は、1891(明治24)年における熊本電灯の開業であり、その後いろいろな電灯や電車の会社が九州各地にできますが、1922(大正11)年に東邦電力を主宰した松永安左エ門が大きな電力会社に統一していきます。
 しかし昭和になり中国大陸で戦雲が急を告げるようになると、革新官僚と呼ばれる連中が勢力を伸ばし、1938(昭和13)年に電力国家管理法を公布し、翌39年には半官半民の日本発送電を設立します。日本の発電所は日本発送電の所有となり、事業所や家庭への配電は、「九州配電」など全国を9ブロックに分けた各配電会社が担います。太平洋戦争中の1942年には、九州配電㈱が九州7県と沖縄の配電業事を取り仕切ることになり、この体制のままで終戦を迎え、戦後は1951(昭和26)年に松永安左エ門が作った電力再編成案により、5月1日に九州電力㈱として出発します。松永については長くなるので次回に回しますが、九州電力の初代社長は佐藤篤二郎でした。
 以後、1967年には地熱の大岳発電所や石炭の唐津発電所1号機が運転開始、69年には石油の大分発電所が運転を開始しました。そして玄海原子力発電所の1号機が1975年10月に、2号機は81年3月、3号機は1994年3月、4号機が97年7月に運転を開始しました。
 玄海原子力発電所の所在地・佐賀県東松浦郡玄海町は、九州の西北部で北に突出する東松浦半島の西側で、東側は焼物で有名な唐津市です。ここから玄界灘に向け東松浦半島の東側を北上し、半島の突先を通って西側近くに行きますと、太閤秀吉ゆかりの名護屋城址や海中展望台の波戸
はど
岬があり、さらに半島の西側を南下しますと、玄海原発のある玄海町大字今村値賀崎ちかさきです。その南一帯は玄海町と唐津市肥前町納所のうさで囲まれた仮屋かりや湾では、鯛や牡蛎の養殖をしていました。

 九電のほうは2005年に、日本最長の53キロメートルに及ぶ電力用海底ケーブルによって、五島列島との連携設備が運用を開始します。松尾新吾社長(2003~07年)の時でした。次の真部利応まなべとしお社長(2007~12年)は、玄海原発の再稼働をめぐる、やらせメール問題の責任を取って辞任します。これに伴い12年4月、瓜生うりう道明が社長に就任しましたが、九電は13年3月の決算で過去最高の赤字を出していました。15年には1号機の廃炉を決定しておりますが、瓜生社長は原発再稼働に執着します。
 九電は2017年9月15日、玄海原発4号機の再稼働に向け、機器や設備の性能を現地で確認する「使用前検査」を原子力規制委員会に申請しました。九電の計画では、4号機は18年3月に原子炉を起動し翌月、営業運転に入る予定です。3号機は原子力規制委が使用前検査を始めており、すでに再稼働を果たした川内原発1、2号機とともに原発4基態勢の目途が立ちました。そこで役員の若返りを図り、瓜生道明社長は代表権のある会長に退き、18年に取締役常務執行役員の池辺和弘を昇格させることになりました。
 しかし玄海町町長だけでなく周辺の自治体、佐賀県の伊万里市市長、長崎県松浦市の市長、福岡・長崎・佐賀県の知事から安全確保の注文が相次いで出されます。
 さらに住民ら70人は、再稼働差し止めを求めた仮処分申請をしました。これに対し佐賀地裁は18年3月20日に申し立てを却下、玄海3号機は3月23日に再稼働します。ところが3号機は31日、配管が蒸気漏れを起こしたので発電送電を停止し、営業運転は遅れることになります。それでも運転予定があることを不服として、住民側は4月3日福岡高裁に即時抗告しました。焦点は阿蘇山の大規模噴火リスクですが、福岡高裁は、「規制や対策は合理的である」として、差し止めを認めず、抗告を却下しました。玄海4号機の営業運転は、結局、18年7月19日になります。他方、2019年4月9日、2号機の発電事業変更届け出書を経済産業相に提出し、同日付で廃炉としました。
 20年にはテロ対策の「特定重大事故等対処施設」(特重施設)の工事認可を得ますが、期限に内にはできなくなりますし、前玄海町長が関電の賄賂事件の一味から接触を受けていたことが分かりました。赤字と料金値上げや、関電などとの電力カルテルの問題も起こります。23年1月には、社員が競合する新電力の顧客情報を不正に閲覧していたことが明らかになりました。
 4月には業績悪化で、議決権のない優先株を8月に発行すると発表しております。
 井上光晴の『西海原子力発電所』は、原発と原爆を繋ぎ合わせた悲惨な名作で、核文学の古典ともいえますが、モデルにしているのはこの玄海原発でした。
 それでは次回は、九電もう一つの原発、川内原発を眺めてみましょう。

つゆ闇や九電に重し再稼働 
木枯らしの玄海沖にまりけり
光晴の西海原発おけら鳴く    
(2023.10.9.)

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