連載 郷福島の復興に想う 第8回 トリチウムはやはり海洋放出すべきではない 谷本 多美子(アイキャッチ画像 2023年5月汚染水が排出されようとしている太平洋)

 朝日新聞が朝刊の社会総合面に5月30日から5回に亘って、東電福島第一核発電所の処理水が、地元住民の理解が得られないまま、夏に海洋放出が迫っている現状を報道していた。内容をかいつまんでいうとざっと以下のようになる。

 今年2月下旬、県立相馬総合高校新地校舎で、「廃炉とアルプス処理水について考える出前授業」があった。70分の授業の最後に17歳の高校生早川純矢君が、マイクを握って発言した。
「処理水を海に流したら、漁師は困ってしまいます」
 彼の祖父は漁師だ。早川少年は小学校入学前に祖父に手を引かれて行った魚市場を今も覚えているという。原発事故後祖父は船を出せない日が続いた。出荷先での評価を確認する試験操業は2021年3月末まで続き、今は自由に漁ができる本格操業への移行期間だが、祖父が漁に出るのは週に3~4日だ。
 教壇の講師は経済産業省の男性官僚だった。福島市出身で、高校1年のときに東電福島第一核発電所の爆発事故で被災したという。同じ福島県人ということで生徒たちの緊張は少しほぐれたらしい。早川少年の知りたいことは決まっていた。祖父と自分が好きな海に、政府と東京電力はどんなものを流そうとしているのか。早川少年も将来は漁師希望だ。
 授業は資源エネルギー庁が発行したパンフレット「廃炉と未来」に沿って進んだ。早川少年たちが受けた授業での講師の説明によると、原発事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)が880トン残る建屋に地下水などが入ることで、放射性物質を含む汚染水が増える。ALPS(多核種除去設備)で何度か濾過してもトリチウムなどが残る。その汚染水をタンクに保管しているが、敷地にスペースがない。だからトリチウムなどの濃度を国の基準以下に海水で薄めて処理水として海に流す。原発の廃炉を進めるには、処理水を処分することがどうしても必要だという。
 講師の話に危機感をもたない同級生たちもいたが、早川少年はすんなり受け入れられなかった。科学的に安全なら、原発事故前のように全国の人は福島県産の魚を買ってくれるのか。
 県漁業協同組合連合会は過去8年間、デブリに触れていない建屋周辺の地下水を海に流すことを容認してきた。最大の懸念のデブリに触れて汚染された水の取扱について、2015年に県漁連は国や東電と交渉し、「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」との回答を引き出した。だが国と東電は、関係者が理解すれば処理水は流せるとして、説明会や国内外への発信などに取り組んでいる。
 2021年4月、菅政権の時代に処理水の海洋放出を決めた。以後国は全国での理解醸成に躍起になっている。早川少年たちが受けた授業も「若年層向け理解醸成授業」の一環だ。20年11月以降、県内で35校、北海道から九州まで全国48校で展開された。
「漁師の方の了承がないまま政府が海洋放出を決めることが、漁師の尊厳をなくすみたいな感じ」と早川少年の同級生もみんなの前で考えを述べた、と記事の中にあった。純粋な少年たちの声も、素朴な疑問も、踏みにじるかのように、まもなく処理水と名称を変えた汚染水は海に流されようとしている。
 4月15日にも南相馬市で福島第一核発電所から出る処理水の海洋放出を巡り、国と東電の担当者を招いた説明会が開かれている。内容は相馬総合高校での出前授業と同じだ。出席した福島市の64歳の主婦も質問している。
「保管場所がないっておっしゃいますけど、(放出のための)海洋トンネルを掘って、掘削した土はどこに置くんですか」
 問いかけはほかの質問に紛れてしまい、この日は答えが返ってこなかった。彼女のまわりでは多くの人々が人生を狂わされた。
 2018年8月末、経済産業省の小委員会は福島県内外の3か所で、東京電力福島第一核発電所の処理水の処分に関する公聴会を開いた。当時の小委の会長は山本和義奈古屋学芸大学副学長(原子力学の専門家)。楢葉町の71歳の男性は「公聴会をやりましたという手続きの一つだったんでしょう」と言う。公調委から1年半後、小委は報告書で、海洋放出と大気への水蒸気放出が「現実的」と結論づけた。専門家のお墨付きを得た政府は21年4月、海洋放出の方針を決める。
 最後に40年以上前の米スリーマイル島の原発事故の結果で締めくくられていた。この事故のとき、米原子力規制委員会(NRC)や原発事業者は当初島が浮かぶサスケハナ川に流す方針だったが、下流のランカスター市と地元の環境保護団体が、NRCと事業者を提訴する。住民は飲み水として川の水を使っていた。その後和解が成立し、処分方法の決定は先延ばしされる。NRCは地域住民との対話のために助言委員会を設置し、周辺自治体の首長や地域住民、科学者ら12人が委員に選ばれ、委員会は93年までに計78回の会議を重ねて解散する。10年間ランカスター市長を務めたアーサー・モーリス市長(77、彼は無報酬で2代目の議長を担った)は朝日新聞の記者の問いに、「飲み水をとる川への放出と、海への放出は違う」と前置きして続けた。「住民の疑問に答え、議論を重ねることが大切だ。対話なしに政策を決めても住民の怒りを買うだけだ」

 相馬総合高校の出前授業から1か月後の3月、筆者も東京の某ホテルで経済産業省の男性官僚宮下氏から「福島原発における廃炉・汚染水・処理水の問題について」話しを聞いた。その1か月後には南相馬市で同じ説明会が開かれている。今思うと理解醸成の一環だったのだ。スリーマイル島での事故の結果との差が違いすぎて、絶望的にさえなる。
 グリーンピースというNGOから頻繁にメールがくる。一度何かに賛同して署名をしたことがあるので、その延長線上と理解している。このたびは、福島第一核発電所からの汚染水を海洋放出しないように賛同を求める内容だ。もちろん署名した。なぜトリチウムを海に流してはいけないか、4つの理由が挙げられていた。

理由1 取り除くはずのものが取り除けていない
理由2 トリチウムにはとくに内部被曝のリスクがある
理由3 国際法は「最善の手段を」と言っている
理由4 トリチウム分離技術は存在する

 詳しい理由が挙げられているがおおざっぱに言うと、理由1について、東電はトリチウム水89万トンのうち8割強の約75万トンについて、基準値を超えていたことを明らかにしている。東電は放出するときは基準値以内にしてから、と言っているが、取り除くはずのものが取り除けていない。

 理由2について、トリチウムの半減期は12、3年で、リスクが相当低くなるまで100年以上かかる。体内に取り込まれたトリチウムは半分になるまで10日程度かかる。放つエネルギーは低いが、体内に存在する間に遺伝子を傷つけ続ける恐れがある。

 理由3について、日本も批准している「国連海洋法条約」では「いずれの国も、海洋環境を保護し及び保全する義務を有する」としている(第192条)。194条には「いずれの国も、あらゆる発生源からの海洋環境の汚染を防止し、軽減し及び規制するため、利用することができる実行可能な最善の手段を用い、かつ、自国の能力に応じ、単独でまたは適当なときは共同して、この条約に適合するすべての必要な措置をとるもの」とある。陸上でタンク保管するという「実行可能な最善の手段」があるにも関わらず、海洋放出することは海洋環境保護の観点から認められない。

 理由4について、国の委員会の報告書では「トリチウム分離技術の検証試験の結果を踏まえ、直ちに実用化できる段階にある技術が確認されなかったことから、分離に要する期間、コストには言及していない」として、分離については選択肢となっていない。しかし、実際にトリチウム分離はアメリカなどで行われている。(グリーンピースジャパン エネルギーチーム担当者)

 この情報をはっきり否定できる人がいるのだろうか。科学の知識がない者ではあるが、かなり信憑性があると受け止めた。福島の子供たちの甲状腺癌が、事故前の約300倍に増えていることを思うと、トリチウムは安全だとは思えない。

2018.5.30 「脱原発社会をめざす文学者の会」浪江町請戸地区視察

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