連載 郷福島の復興に想う 第9回 故郷福島の復興に想う――IAEAとは? 谷本 多美子(アイキャッチ画像 福島県災害復興祈念公園建設予定地) 

 東日本大震災・東京電力福島第一原発事故から12年が経った。この12年間、復興という言葉だけが先行しているように感じ、それは今も続いている。確かに震災直後の生々しい様子は見られなくなってきたが、毎回帰省するたびにインフラが整備されていく故郷を見て、いったい誰が、誰のために、莫大な税金を投入して、人のいない故郷を作り替えているのか、と疑問に思ってきた。かたや耕作されていない農地は減る様子もない。
 2011年4月、被災者が塗炭の苦しみを味わっているとき、「東日本大震災復興構想会議」が、有識者たちによって、首相官邸で開かれていたのだが、筆者は避難家族のケアや入院中の親の世話で、ニュースを見ている暇もなく、政府がどんな構想を練っているかなど、知るよしもなかった。12年の間に、避難中の母は一度も故郷の地を踏むことなく、入院中だった父も、「生活の場に原発なんか作って…」と、悔やんでも悔やみきれない言葉を残して世を去った。わが家ばかりではない。今でも福島県からの避難民が全国に三万人近くもいることを思うと、三万人分のドラマがあるはずだ。その避難民の中には帰る故郷がなくなり、やむを得ず住民票を避難した土地に移した人々がいる。
 この4月、神奈川県の避難者を支えている団体の代表の方に会った。支えるべき避難者は減っているのかと聞くと、「避難指示解除になった地域の人々は避難生活をしていても、避難者と見なされなくなったこともあると思います」と答えが返ってきた。原発事故後、神奈川県には避難者が約8000人いたが、現在は2000人くらいに減っている、と、前代表からも聞いていたが、避難者数に入れ等れない6000人の人々の、ごく一部は故郷に帰ったかもしれないが、大部分の人々はどうしているのかと、わが家族を思いつつ、思いを馳せ、心が曇るのを止められなかった。
 12年経って、NHKの報道を通して、東日本大震災復興構想会議、の内容を初めて知った。会議の中で打ち出したのが、創造的復興。震災前の姿にではなく、次の大災害に備え未来を見据え、日本のあるべき姿をめざす、つまり被災地を大きく創り変えるというものだった。当時復興構想会議議長を務めていた五百(いお)旗頭(きべ)真(政治学者)氏がNHKの取材に応じていた。国が何をめざしていたのか、「無かったものを新たに将来に向けてつくる、これが『創造的復興』だ。阪神淡路大震災では『創造的復興』を国が許さなかったんですね。炊き出しをして避難所を提供して、人道的な支援はすると、元より良くするという『創造的復興』は許さないと、それはわがままだから、焼け太りだから、やるのであれば被災地の地元の金でやりなさいと。そんな先進国がどこにあるか、恥ずかしい限りだと不満があった。というのは災害列島で、どこでも起こりうる、明日はわが身かもしれない、それを突き放し始めたら悲惨な日本社会になる。そうじゃなくて、起こった所に対して、全国民が順繰りに支えていく」
 五百旗頭氏たちがまとめた復興7原則、創造的復興の具体化に向け、国費の投入を提言、安心安全の町創り、自然エネルギーの導入、など、被災地を創り変える方針が打ち出された。後に五百旗頭氏はこの復興構想に危機感を覚えたそうだ。

福島県災害復興記念館建設予定地看板

 専門家や学識経験者たちが話し合いの結果まとめた復興構想論だと思うが、深く考えると、そこに痛みも苦しみも感じる感情のある人間が存在していない。新たに創り変えるとは、被災地を低く差別的に見ていたからではないか。財源が国だとなると、人がいなくても、防潮堤、道路、新たな建物、などなど創られてくことになるだろう。結果肥え太っていくのは誰か。
 差別的と言えば、福島第一核発電所から出る汚染水を処理水として海洋放出するのも、地元の人々に対しての差別意識を感じる。7月12日の朝日朝刊に、「原発処理水 国内外へ説明大詰め」と題して記事が載っていた。各国に「低水準」データ示して説明する内容だった。最初に放出ありき、で説明を重ねているのだから、いかに地元の人々が反対しようとねじ伏せられてしまうだろう。
 公明党の山口代表が、あるとき、「海水浴期間中は処理水を流さない方がいい」と発言していた。あまり幼稚な発想に力が抜けていくのを感じた。確かに、処理水と称する汚染水の放出場所は、元双葉海水浴場があったあたりだ。白い三角形の瀟洒な海の家があり、松林にはキャンプ場もあった。津波に襲われたこともあるが、昔の風景は何も残っていない。現在「福島復興祈念公園」を造成中でもあり、近くには東日本大震災・原子力伝承館もある。故郷を懐かしんで遠くから訪れる人が海で泳ぐことがあるかもしれない。海水浴シーズンだけ処理水を流さなくても、その前にはすでに流され、その後は何十年も延々と流し続けることになるだろう。そんな海で人を泳がせるつもりなのだろうか。
 政府は風評被害などの対策もとると言っているが、どうとるのだろう。福島の野菜や果物というだけで収入はゼロに近い数字まで減った農家の人々と同じ苦しみを今漁業者に押しつけようとしている。補償金を払えばいい問題ではない。そもそも、海水浴期間だけ、と限定しているのは、危険だと認めているからではないか、という人もいる。他の政治家たちはどう思っているのだろう。一人一人に聞いてみたい。
 岸田総理も訪問先のリトアニアで記者団の質問に、「東京電力福島第一原発の処理水について、夏ごろ、とする従来の方針に変更はない」と答えている。IAEAも7月4日の報告書で、日本の海洋放出計画について、「国際的な安全基準に合致する」と指摘している。さらにグロッシ事務局長は、「処理水を放出し終えるまで福島に寄り添う」と話していた。寄り添っても、流されてしまっては意味がない。そもそもIAEA(International Atomic Energy Agency)について、国際原子力機関くらいしかわかっていなかったので、ネットで調べてみた。一番知りたかった目的について、原子力技術の平和的利用の促進、軍事転用の監視・防止とあった。
 作家で俳優の中村敦夫氏が、朗読劇『線量計が鳴る』で語っていた。チェルノブイリに視察に行ってきた後の場面での台詞。
「――とにかく原発の危険性だの、事故の被害についての情報は、国際的に管理コントロールされてるつう事実が、この旅で実感できたわ。なに、誰が管理してる? そりゃ、IAEAだっぺよ。ほれ、国際原子力機関つう放射能産業をバックアップする国連系の組織だわ。ウィーンに本部があってな、世界中に2300人ぐれえの職員がいる。ま、商売用の原発はジャンジャン作らせっけど、核兵器への転用は許さねえなんて、わけのわかんねえこと言ってる――」
 この朗読劇で、IAEAについてスクリーンに映し出された言葉は、「IAEA 国際原子力機関 ―原発マフィア本部―」だった。実に的を得ている、と感服せざるを得なかった。一方、中村氏の台詞が蘇ってきて、笑いをこらえることができなかった。こんな社会の底辺で生きている、科学の知識もない、一塊の老人に笑われていいのかIAEAと情けなくもあるが、これを許しているのもまた我々人間なのだ。
 笑っている間に、間もなく汚染水は流されようとしている。

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