連載文士刮目 第28回 同人誌【その土俵】の重みを大切に 伊神 権太(写真:席上、優秀な同人誌と作品に対する表彰もあった)

「コンピューターによって人間がどんどん数式化。文章も劣化しつつあり、大手出版界も単行本も、氷河期だと言っていい。これで良いのか。世の中が信用出来なくなってきた。こうした時代だからこそ、自分たちで社会を見つめ、自分たちの世界を作っていく。そういう積極的な感じ方、考え方こそが今こそ大切で、皆さんの同人誌の行く手には、ひと筋の光りがあるのです。活字文化が衰退するなかで日本文学を再生するとなれば、カギはここに集まってくださった皆さんにあるのです」。

会場一角では全国からの同人誌が一堂に並んだ

 冒頭は、ことし7月29日に<新しい日本文学の潮流を同人雑誌から>をメーンテーマに、大阪では初めて実現した第5回全国同人雑誌会議(第2回全国同人雑誌協会総会を兼ねる)の席での協会代表理事・五十嵐勉さん(「文芸思潮」編集長)の言葉です。私は「その通りだ」と思い、耳を傾けました。その日。全国同人雑誌会議の会場であるリーガロイヤルホテル大阪に一歩足を踏み入れた途端、各地から寄せられ一堂に展示された同人誌の数々、そして何よりもこの場に集まってきた同人誌仲間たち一人ひとりの真剣なまなざしに、熱気と情熱のようなものを感じ同時に「これならば、まだまだ大丈夫だ」と、そんな感じがしたことも事実でした。
 思い起こせば、私自身、過去に松本の「屋上」をはじめ、大垣の「長良文学」、そして有志で立ち上げた文庫本同人誌「熱砂」(現在、私が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」の前身)に所属。そして、現役の新聞記者時代に中部ペンクラブが主催し、初めて名古屋で開かれた第1回全国同人雑誌会議(2005年6月18日)を前に、【同人誌 その土俵】のタイトルで同人誌の連載記事を書き始めたのが、その年の2月10日でした(この記事は6月16日まで。20回続いた)。その後、紆余曲折はあったものの、五十嵐代表理事はじめ、三田村博史さん(前中ペンク会長)、全国各地に点在する同人誌仲間らの努力と熱意、情熱もあって同人誌の輪と底力は全国的に拡大。東京、名古屋と並び、大阪文学学校を柱に文学のもう一方の拠点と言ってもいい大阪の地でこのように全国大会が開かれるとは当初は一体、誰が思ったことでしょう。

シンポジウムでは熱心な意見が相次いだ

 さて。大阪で初の同人雑誌会議の内容ですが。この日は作家藤沢周さんの【文学に導かれて】、吉村萬壱さんの「ダイモーンの声」の講演をはさんで「同人雑誌から新たな文芸潮流を」を演題としたシンポジウム&討議があり、全国各同人雑誌代表による現情報告と新たな文学潮流へ向けての提言などが熱心に話し合われました。文芸評論家の川村湊さんも北海道から空路、駆け付けるほどの熱の入れようでした。中で印象に残ったのは「小説の書き方を考えたりするのではなく、ただ批評し合う。それがとても良い。そして。とにかく書かせます。書け! と。本を読みなさいと言っています」(小原政幸大阪文学学校事務局長)「全国書店への配本を始めましたが、同人誌とはいえ、流通に乗せる方法も考えるべきで出来るところから始めている」「刑務所で作っている」「うちの<飛行船>は30号まで続き、同人は11人。北海道や神奈川からも入っています。一番のごほうびは褒められることで、徳島で言えば、徳島新聞の文化欄に載せて頂けたら一番うれしい」「九州は文学賞が多くて書きがいがあります。最近ではチャットGPTのコンペティションをやったらどうか-といった声も出ています」「書かずにおれない人々がいる」など。
 皆さん真剣に話し合う表情が印象に残りました。

 翌30日には、有志によるオプショナル・ツアーにも参加。川端康成文学館はじめ司馬遼太郎文学館、与謝野晶子文学館、直木三十五記念館の順で巡りましたが、参加者の満足そうな顔を横目に「日本の同人誌は決してまだまだ捨てたものではない。身近な同人誌に核廃絶や沖縄の基地化反対などを唱え、世界平和や家族の絆の大切さ、災害への備えを訴えることだって十分に可能だ」と自身に言い聞かせ、帰宅しました。
 そして。今回の全国大会開催を見る限り、文学界に占める同人誌の存在の重さを改めて痛感。日本の同人誌活動は捨てたものでなく、今後ますます充実していくに違いない、と。そんな思いを胸に、一人ひとりが同人誌という自らの土俵を大切に書き続けていけば、やがて扉は開かれるに違いない。そう確信して帰った次第です。(了)

(2023年9月1日)

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