第13回 沖縄流れてどこどこ行くの 平和のシンボル・夢の島に

 沖縄の本土への復帰から5月15日で半世紀が流れ復帰五十年に合わせるように新聞各紙やテレビ、ラジオなどはどこも特集を組み、沖縄への思いを新たにしました。でも、なぜか。各マスコミの論調は【平和の島 なお遠く】【命どぅ宝(命こそ宝)戦場にするな 東京でデモ】【沖縄の平和 目標遠く 復帰50周年式典 知事「負担軽減を」】といった悲観的なものが多く、そればかりか、ここに来て沖縄の平和が頓挫してしまっている。そんな気がしたのは私だけでしょうか。
 では。国民一人ひとり。私にとっての沖縄って。一体何だろう。
 そう問われたら私の場合は「母の弟が戦死したところでにっくき島だ」と、まず答えるでしょう。そして。亡き妻と私が本土復帰の年、昭和47年に三重県志摩半島の新聞社通信部で駆け落ち同然の記者生活を始め、その後の年月が過ぎた、そんな時代の流れを感じさせる場所だと言うに違いない。まだある。それはドラゴンズの黄金時代、落合博満監督時代に誕生したばかりのドラゴンズ公式ファンクラブの会報編集責任者として毎年、シーズン前のキャンプ地(北谷、読谷)をファンクラブの代表を伴って訪れ、監督に花束を渡し、その際に死闘の地・残波岬を訪ねたところでもある。

 それはそうと。つい先日、名古屋で会った関東在住の50前後の女性は即座にこう答えた。「私にとっての沖縄は戦場そのもの。行くのが怖い。こどものころ大人たちから〝おきなわ〟と聞くだけで、夜見る夢は戦場でした。だから頭上を飛行機が飛んでいる。それだけで怖い。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻で、よく戦争犯罪と言われますが犯罪でない戦争なんか、あるはずがない」と言い切り、その通りだと思った次第。実際、かつては沖縄と聞いただけで「米兵が来て人を殺すというイメージがぬぐい切れなかった」と言います。
 一方、若い世代の沖縄への印象と言えば。「米国との基地問題を日本全体の課題として考えるべき」(愛知県一宮市 中3・伊藤可南子さん)「政府が基地のことを沖縄に押しつけていると感じました」(三重県伊賀市 中3・川極義弘くん)「政府が一つの国として取り組んでほしい。よりよい沖縄になったらすばらしい」(滋賀県 小6田中亮成くん)=いずれも5月19日付中日新聞「本土復帰50年沖縄に迫る 私たちの思い」から

 NHKの朝ドラ【ちむどんどん】では先の大戦後、沖縄の人々がいかに命の火を燃やし、その後の復興とともに歩んできたか、が手に取るようでもあります。皆さん一人ひとりにとっての沖縄って。一体何でしょう。私たち国民一人ひとりが胸に手を当て考えてみましょう。そして。あと50年したら。もしかしたら沖縄は基地のない世界平和をシンボルとした夢の島に変わっているかもしれません。自らも石垣島出身の夏川りみさんの【花】をみんなで歌ってみましょう。沖縄はこの先どこへ流れてゆくのだろうか。(2022/6/1)

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