上関原発建設計画に反対する祝島住民ら約50人は、5月10日に、全国から集めた「原発建設計画中止!」を求める238,875人分の署名を、経済産業省に追加提出しました。この署名は前年10月の612613筆に続き2回目で、合わせて851488筆となりました。経済産業省原子力安全保安院は5月31日、上関原発計画の原子炉設置許可申請に関する初の現地調査のため、建設予定地の田ノ浦を視察しました。
原子力安全保安院は7月29日、上関原発について「耐震性を確かめるための事前地質調査が不十分」として中電に、追加の調査を行うよう指示する方針を決定し、「耐震性の重要性についての認識が甘いので異例の対応を決めた」と発表している。従来の審査が極めて杜撰だったことを認めているようなものでしょう。
さてここから、東電福島第一原発事故以後の世界に舞台を移します。
即ち2011年3月11日、東日本大震災とこれに伴う東電福島第一原発(フクイチ)の原発
事故が起こり、15日には二井関成山口県知事が上関原発問題に対し中電に、慎重な対応(はっきり言えば中断)を求め、中電は準備工事としての埋め立て工事等を中断しました。しかし原子力安全保安院から求められていた追加調査は、この後数ヶ月続けています。6月26日、二井知事は山口県議会で「現段階では、国の原子力政策や原発の具体的な安全対策が示されておらず、新たな手続きに入ることはできない」と述べています。全国的に見て混沌としていましたが、電力会社にとって、特に原発問題は逆風の時代に入ったと考えてよさそうです。
翌2012年10月5日、中電は海の埋め立て免許の期限が切れる直前に、免許の3年延長の申請を山口県に提出しました。これに関し同月23日、山口県は中電に対し、延長申請の補足説明を求めました。それ以降、平成27年6月までに7度の補足説明が要求されています。
2014年2月で山口県知事は村岡嗣政となります。5月24日、県道光―上関線を町道に格下げし、中電の寄付で拡張工事を始めました。2015年5月18日、中電は埋め立て免許延長申請を2年8ヵ月延長して2018年6月までとするよう、県に二度目の申請をします。6月22日に山口県は、埋め立て免許延長の判断を一年先とし、7回目の判断を先送りとしました。
2016年6月22日、中電が県に三度目の埋め立て免許延長申請をします。2019年7月までにしてもらいたい、というのです。同月29日、公有水面埋め立て免許処分取消訴訟や自然の権利訴訟に係わる裁判官が現地を視察しています。8月3日には村岡嗣(つぐ)政(まさ)山口県知事が、判断を保留していた埋め立て免許延長を一括して許可。山口県議会は10月7日、上関原発を推進する意見書を自公の県会議員で可決し、国へ提出しました。2017年6月30日に中電は、原発事故後初めて陸上でのボーリング調査を開始します。
これに対して反対派は直ちに反応しました。「海と放射性物質の問題」で、上関原発に反対する個人やグループは少なくありません。
『脱原発社会をめざす文学者の会』の会報第24号に「反核の想いはつよく――山口県避難移住者の会」と題して紹介させて頂いた浅野容子代表は、福島県双葉郡葛尾村にお住まいでしたが原発時事故後、実家のある山口県に辿り着き、反原発運動を展開しておられます。団体としては「上関原発止めよう!広島ネットワーク」(木原省治)が活躍しています。2018年1月13日(土)の14時から16時30分まで、広島平和祈念資料館地下会議室1で「上関はいま」という講演会が開かれました。
お話をされたのは「上関原発を建てさせない祝島島民の会」代表の清水敏保氏。氏は上関生まれで上関町議会議員、祝島で海上運送業を営み、上関原発建設反対運動を35年以上続けておられます。2009年には海上での抗議活動に対し、中電から恫喝的な損害賠償で提訴されましたが、2016年には勝利的和解を勝ち取っておられます。(以下、次号に続く)